東方W


 

 左翔太郎がその奇妙な依頼人に出くわしたのは、ある奇術師に関わるドーパント事件の報告書がようやくまとまったころのことだった。
 そのとき左翔太郎はようやく普段どおりに運動ができるくらいに回復していたが、まだだるさは残っているようで借りてきたDVDを観ており、フィリップはどういうわけか「カレー」についての検索に没頭、ホワイトボードに様々なスパイスの名を列挙し、化学式のようなものまで展開していた。
 「“夕子・・・行くぞ!”か・・・こういうのもいいもんだな」
 DVDをを観終わった翔太郎はノートPCを閉じると、窓から天気の具合を見た。
 天気予報では一日中雨といっていたが、雨は上がり、晴れ間も覗いている。
 「さて、リハビリがてらちょっと散歩でもしてくるかな」
 翔太郎は立ち上がり、フェルトハットを被って、
 「亜樹子、ちょっとそこらへん歩いてくる」
と、マンガを読んでいた鳴海亜樹子に声をかけた。
 「あーい。車に気をつけてねー」
マンガに目を落としたまま亜樹子が手を振る。
 「子供じゃあるまいし。じゃあ行ってくる」
 翔太郎は事務所を出ると、階段を下りて近隣をぐるりと回る散歩に出かけた。

 

 「・・・・・・気分はどうですか」
 薄暗い一室で、二人の人間が対峙していた。
 一人は椅子に座り、一人は壁にもたれかかっている。
 椅子に座った人間の問いかけに対し、
 「“何とか・・・”」
 壁にもたれかかっている影が、機械を通しているような声で答えた。部屋の隅は薄暗く、その姿は定かでない。
 「その処方を投与すれば、肉体も精神も安定するでしょう」
 椅子の人間―――井坂深紅郎は穏やかな笑みを浮かべながら言った。
 「影」が苦しそうな声で言う。
 「“最近は・・・自分で自分を・・・抑えられない・・・自分でも気づかないうちに・・・思わぬ力を使って・・・”」
 井坂は目を閉じて指を立て、
 「成長期の人間が運動時にそれまでの感覚と異なる感覚を抱くように、あなたも今まさに成長しようとしているところなのです」
 そして目を開くと「影」のほうに手を伸べ、
 「ここを克服すれば、あなたは文字通り進化を遂げる。人をはるかに超えた力を自在に使うことができるようになる。そしてあなたにはその強さがある・・・・・・耐えるのです。私はいつでもその助けになりますよ。いつでも私を訪ねていらっしゃい」
 「“・・・・・・・”」
 「影」がすうっと見えなくなり、その気配が部屋の中から絶えた。
 「くっくっく・・・・」
 井坂は楽しげにくぐもった笑いを漏らした。
 「この実験が成功すれば・・・無敵の力が・・・・くくくく・・・・」

 

 翔太郎がぶらぶらと歩いていると、
 「おや、翔ちゃん」
 ウォッチャマンと出くわした。「ずいぶんと良くなったみたいじゃない」
 「ああ、もう大丈夫だ。ようやく仕事に復帰できるぜ」
 翔太郎は笑って、「何か最近変わったことはないか?」
と訊ねた。
 「んー」
 ウォッチャマンは手にしているiphoneを見て、
 「最近起こってた、風都での行方不明事件あるでしょ、その被害者が遠隔地で発見されているね」
と言った。「さっきも速報でそのニュースが流れてた。何でも京都で見つかったったらしいよ」
 「へえ・・・京都で」
 最近、風都では行方不明者が相次いでいた。動機もなく、誘拐の脅迫もなく、ただ、人が消える事件。
 街では、神隠しだとささやかれていた。
 不可解な事件ではあるが、それは警察の通常の領分であり、誘拐の可能性もあるためマスコミにはあまり情報のリークはなされず、翔太郎も詳しくそれについて知ることはできなかった。
 「聞いた話だけど、行方不明後初めて見つかって帰ってきた人は、“街を歩いていたらいきなり見知らぬ場所に立っていた”と言って、本人もさっぱり理由がわかっていないらしい。今度もそういうのだったら、これはかなり奇妙なことじゃないか?」
 ウォッチャマンと別れたあと、翔太郎は考え込みながら歩いていた。
 (ドーパントの仕業か・・・?しかし、これだけでは・・・)
 ついフィリップよろしく黙考し、前方不注意になったところへ、
 「きゃっ!」
 誰かと正面からぶつかってしまった。
 「あっ!」
 翔太郎は思わず声を上げたが、もう遅かった。
 「あいたた・・・」
 目の前には一人の少女が尻餅をついていた。
 彼女は白いブラウスに黒いスカート、そして白いリボンをつけた黒いフェルトハットを被っており、髪は肩の高さで切りそろえ、勝気そうな表情。ボーイッシュな雰囲気がある。歳は18、9だろうか。転んだときに手放した小さなバッグが横に落ちていた。
 「ごめん!」
 翔太郎はすぐに身をかがめて少女の手をとり、「怪我はない?」
 「は、はい」
 少女は翔太郎の顔を見ながら、「こちらこそ、よそ見していて前を見てなかったもので」
と苦笑いして答えた。そして、
「あ、大丈夫です。自分で立てますので」
と、すっくと立ち上がった。
 「ごめん、ちょっと考え事をしていて」
と翔太郎が謝る。
 「私も前方不注意で・・・お互い様ですね」
少女はくすりと笑った。
 少女はどうもこの風都の人間ではないようだった。翔太郎の見覚えのない人間であったし、ファッションや持ち物がここのセンスとは違う。前方不注意になるほどよそ見していた、ということからこの地に不案内であることがわかる。といって、普段着みたいな軽装に荷物の簡素さから、旅行客とも見えない。
 「道に迷ってるの?」
と、翔太郎は訊いてみた。
 バッグを拾った少女はふと顔を曇らせた。
 「はい・・・というより・・・」
 「?」
 翔太郎は首をかしげて、「というより?」
 「・・・ここ、どこなんですか・・・?」
 少女は周囲を見回した。
 「大学から帰る途中、ちょっと変な感じになったと思ったら、いきなり見知らぬところへ・・・」
 そして翔太郎を見上げ、
 「いったい、ここはどこですか?私は、いったいどうなって・・・!」
 翔太郎の脳裏に、今しがたウォッチャマンから聞いた話が駆け巡った。
 翔太郎は言った。
 「ここは風都。風の吹く街だ。そしてオレは左翔太郎、探偵だ。君の力になる。事務所で詳しく話を聞かせてくれないか」
 「・・・・・!」
 少女は小さくうなずいて、
 「はい、わかりました。私の名前は宇佐見蓮子といいます。よろしく・・・お願いします」
と言った。

 (OP“W-B-X~W Boiled Extreme~”)

 「ちょ、翔太郎くん!その子なに!?ナンパしてきたの!?」
 事務所に戻ってきた翔太郎と少女――宇佐見蓮子を見て、亜樹子は頓狂な声を上げた。
 翔太郎は顔をしかめて、
 「バカなこと言うな!依頼人だ」
と言い返した。その時奥から、
 「これだ!最高のスパイスの配合を見つけたよ!」
というフィリップのこれも頓狂な声が聞こえてきた。
 およそ「探偵事務所」らしからぬ雰囲気に、蓮子があからさまに不安げな表情を見せる。
 それに気づいた翔太郎は、
 「いや、大丈夫、ここは本当に探偵事務所だから!」
 依頼人、と聞いた亜樹子も、
 「そうそうそう、ここは正真正銘、鳴海探偵事務所。私が所長で、そいつがハーフボイルドな助手」
 「ひと言余計だ」
 奥からフィリップが顔をのぞかせた。
 「おや翔太郎お帰り。依頼人かい?」
 そして蓮子を見て眉をひそめ、
 「彼女は一体どこから来たんだい?」
と言った。
 「今日は午前中に雨が降っていて、朝、ラジオでは天気予報は雨、最高気温は10度といっていた。季節の変わり目でまだ冬用の衣装もしまっていないはず。こんな日にはある程度厚着で出かけるのが普通で、そんなに軽装で出かけるのは不自然だ。それに傘も持っていないしね」
 「彼がオレの相棒だ」
と翔太郎が説明する。蓮子もフィリップの言葉にようやくここが探偵事務所であると納得したようだった。
 「ではそちらの席に。話を聞かせてもらうよ」
 翔太郎に促されて蓮子は席に座り、経緯を話し始めた。

 蓮子によると、彼女は京都のとある大学に通っている大学生で、午後から講義がないために友人とカフェで昼食を摂って帰宅途中、ふと妙な感覚にとらわれてめまいがしたと思った次の瞬間、もう見知らぬ所――風都にいたという。
 「そのときにはその友達とはいっしょに?」
と翔太郎が訊く。
 蓮子はうなずいて、
 「はい。私たちのサークルのことについて話しながら」
 「じゃあ、その子もここへ来てるかも知れないね」
と亜樹子。
 「だな」
 翔太郎はうなずいて、「その子の名前と特徴は?」
 「名前はマエリベリー・ハーン。変わった名前なんで、みんなはメリーって呼んでます」
 「外人さんなんだ」
と亜樹子。
 「はい。でも日本暮らしが長いので、日本語はペラペラですよ。ウェーブのかかった金髪で、おっとりした感じの顔つきで・・・今日は紫色のワンピースを着て、頭に帽子をかぶってます」
 「また軽装だな」
 メモを取りながら翔太郎は言った。「京都のほうも今日は寒いはずなのに」
 「え?」
 蓮子は首をかしげて、「今日の京都は最高気温21度の快晴ですよ」
 「何だって?」
 翔太郎も首をかしげ、スタッグフォンを開いて天気予報サイトにアクセスした。
 「今日の京都は雨のち曇り、最高気温は14度・・・」
 「そんな」
 蓮子は笑って、「他のところと見間違えてるんじゃ」
 「ほら」
 翔太郎はスタッグフォンを蓮子に見せた。
 「・・・・・・ずいぶんと旧式の携帯ですね」
 蓮子はそれを見て感心したように言ったが、画面を見て当惑した表情になった。
 「そんな・・・」
 そして、ブラウスのポケットからカード入れを抜き出すと、中に入っていたカード型端末を素早く操作して、翔太郎たちに見せた。
 「え、何それ!?」
 亜樹子が驚く。「薄っぺらい・・・!」
 その画面には、今日の京都の天気予報が蓮子の言ったとおり表示されていた。
 「いったいどういうことだよ」
 翔太郎は混乱した。
 「ひとつ質問しよう」
 フィリップが蓮子に問いかけた。「今年は西暦何年かな?」
 「20××年です」
 事態の重大さに狼狽しつつある蓮子が答えた。
 「えー!?」
 亜樹子が声を上げる。
 「マジかよ・・・!」
 翔太郎は思わず立ち上がった。その年は、まだ来ていない未来だった。

 「未来のことはぼくにもわからない。“地球の本棚”にもそのような書物は無い。まだ作られてはいないんだ。しかし、彼女の未来にはぼくたちの世界とひとつ重大な違いがある・・・」
 蓮子から西暦による有効期限の入った学生証を見せられ、詳しく話を聞いたフィリップは人差し指を立てた。
 「彼女の世界では、“神亀”の年に再び京都へと遷都が行われたという。しかし、僕たちの世界では“神亀”という年号は奈良時代、西暦724年から729年にかけてすでに使われていて、再び使われることはありえない。よって彼女の世界はぼくたちの世界ではない、パラレルワールド・・・平行世界と思われる」
とフィリップ。「時間の進みの異なる、違う世界」
 「そんな・・・」
 蓮子は心細い表情になり、うなだれた。「私・・・どうすれば・・・」
 「どうするの、翔太郎くん!」
 亜樹子が翔太郎のほうを見る。
 「どうするって言われても・・・」
 翔太郎は眉根にしわを寄せた。しかし、下を向いてしまった蓮子を見て、
 「気を落とすな蓮子ちゃん!来れたんなら、必ず帰れる手段があるはずだ。オレに任せてくれ」
と力づけるように強く言い放った。そして、
「ちょっと行ってくるぜ」
とフェルトハットをかぶり、玄関へと向かう。
 「どこへ!?」
と亜樹子。
 「警察だよ。いい加減あいつらも動いてるだろ。情報を仕入れてくる」
 そのままカッコよく身を翻して外へ出た、ところへ、
 「うわっ」
 「何!?」
 照井竜が立っていて、二人は正面衝突してひっくり返った。
 「な、なんでそんなところに立ってるんだ!」
 翔太郎はわめいた。
 「きさまこそ普通に出て来れないのか!」
 竜も怒鳴り返した。
 「あ、竜くん」
 何事かと顔を出した亜樹子が竜を見てにっこりとする。「いらっしゃーい」
 「いたたた・・・今日はぶつかってばっかりだな。厄日か今日は」
 翔太郎はため息をついた。

 

 竜がやってきたのは、やはり連続失踪事件に関してだった。失踪者が遠く離れた地で発見されたがその原因と経過の一切が不明ということで、彼らの課にお鉢が回ってきたのだという。
 「何か掴んでるか?」
と竜。
 「ああ、失踪者だけでなく、逆に見知らぬ人間も風都に現れてるってな」
 翔太郎の言葉に竜は目を見張って、
 「ほう、そこまで知ってるのか」
と言った。
 「ということはそっちも」
 「ということはそっちも」
 翔太郎と竜が見事にシンクロして顔を合わせた。
 「・・・左なんかとシンクロするとは」
 竜は顔を背ける。
 「どういう意味だ。こっちこそ気色悪いぜ」
 翔太郎も口を尖らせる。
 それを見て蓮子はくすくすと笑った。
 「仲がいいですね」
 その瞬間翔太郎と竜が、
 「いやそれは違うよ蓮子ちゃん」
 「左と仲が良いなどありえない」
と同時に言った。
 それを聞いて蓮子がおかしそうに声を上げて笑う。
 「そんなに息が合ってるのに?」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 二人は顔を見合わせ、顔をしかめてそっぽを向いた。
 「はいはい漫才はそこまで」
 亜樹子が二人の間に入って竜のほうを見、
 「竜くんのほうは何て人を保護してるの?」
と訊いた。「蓮子ちゃん、こっちへ来る時前に友達と一緒だったから、ひょっとしたら彼女も来てるかも知れないって」
 「そうか。こちらで保護しているのは女の子だ」
 「おっ」
 「名前は・・・」
 竜がそこまで言った時、
 「古明地こいし」
 とその後ろで声がした。
 「そう、古明地・・・」
 うなずいた竜がぎくっとし、ばっと後ろを振り向く。
 「はろー」
 そこには一人の少女が立っていた。
 「グッドアフタヌーン」
 「いつの間に!」
 その場にいた一同が思わず立ち上がった。今の今まで誰もその少女の存在に気づかなかったのだ。
 「おまえ、どうやってここに!」
 竜がアクセルメモリを取り出して訊ねる。「まさか、ドーパント・・・!」
 「?なにそれ?」
 少女は首をかしげて、「どうやったって、ずっとお兄さんの後ついてきただけだよ」
 と、いたずらっぽく笑いながら答えた。
 「・・・・・・・」
 竜はビートルフォンを取り出し、電話をかける。
 「もしもし!・・・・あの子が消えた?揃いも揃ってどこに目をつけている!・・・何?ちょっと目を放した隙にいなくなった?こっちに来てるぞ!」
 そして腹立たしげに通話を切り、古明地こいしという少女のほうを見たが、彼女はもうそこにはいなかった。
 「あれ?」
 竜のほかの面々も、竜の通話に気をとられて彼女からちょっとの間目を離していたが、その間にいなくなるとは・・・
 すると、
 「うわー、これなに?」
 事務所の奥、地下ガレージのほうで声がした。
 「ちょっ!そっちはだめだー!」
 翔太郎は血相を変えて声のしたほうへ飛んでいく。

 

 「・・・いったいきみは何なんだ!」
 翔太郎が汗をぬぐいながら、椅子に座った奇妙な少女、古明地こいしに言う。
 帽子をかぶっているのはいいとして、左胸に青い球形のものをつけており、そこから細いチューブが伸び、襟の中を通して靴の両足首についているハート型のアクセサリにつながっていた。愛らしく無垢な顔立ちだが、どこか剣呑で禍々しい空気をかもし出している。
 「あはははは」
 こいしは屈託なく笑っている。
 「この子は私の友人じゃありません」
 と蓮子。
 「こいしちゃん」
 亜樹子がこいしに声をかけた。「どこから来たの?どうして風都へ来ちゃったの?」
 「私は“地霊殿”から来たわ」
 こいしは興味深げに辺りを見回しながら言った。
 「ちれーでん?」
 亜樹子が首をかしげる。
 こいしはふふっ、と笑って、
 「ここは私のいたところとはずいぶん違うから説明してもわからないと思うんで、二つ目の質問に答えるね。私がいつもどおりちょっと遊びに出たらなんか変な人を見かけて、面白そうだと思って後をついていこうとしたらその人が不意にいなくなって、気づいたらこっちに来ちゃってたわ」
と言った。
 「変なカッコした人?」
 亜樹子がこいしに向かって、「どんな?」
 「なんだか私みたいにふらふら歩いていたわ。紫の服を着た長い黒髪の女の人」
 「紫の?」
 亜樹子が蓮子のほうを見る。が、すぐに肩を落として、
 「そっか、金髪じゃないか・・・」
 「その、紫の服を着た黒髪の女性に近づいたら、ここへ飛ばされてきたというんだね、こいしちゃん」
 と翔太郎。
 「うん」
 こいしはうなずいた。
 「その女性・・・失踪事件と関係があるのか。ドーパントなのか・・・」
 「空間を操ることのできるガイアメモリ・・・・・」
 フィリップがつぶやく。「“テラー”以外だと・・・“ゾーン”か“ボーダー”か・・・」
 「蓮子ちゃんはここへ来る直前、そんな人を見なかったか?」
 と翔太郎が蓮子に訊く。
 「・・・・そうだ」
 蓮子が思い出したように、「帰り道、道端で気分が悪そうにしていた人がいたから、介抱してあげました。その人もメリーと同じような紫の服を着て、長い黒髪だった・・・」
 「その人はそれから?」
 「何も言わずに立ち去ってしまいました。夢遊病みたいな感じで・・・」
 「何者だ、その女性・・・」
 と竜。
 「失踪事件にそのような女性が関わってないのか?」
 と翔太郎が竜に訊く。
 「連続失踪事件には互いの関連性がまったくない」
 と竜。「共通して関わっている人間など見当たらないんだ。まさに無差別。それで捜査のほうがまったく進展していなかった」
 「もしこの事件がドーパントによるものなら」
 とフィリップ。「メモリ使用者がその力に飲み込まれ、正気を失っている可能性が高い。平行世界をリンクさせるとなるとそのパワーは相当だ。使用者の負担は相当なものと考えられる。だから、自分でもその力を制御できなくなり、無差別に神隠し事件を起こしているのかもしれない。巻き込まれたこの二人のようにね」
 翔太郎はため息をついて、
 「それじゃ、見つけようがないってことか」
 「いや」
 フィリップが人差し指を立てる。「ガイアメモリの力を使うということは、おそらくメモリを購入するだけの重大な事情があったはずだ。だから、“最初の失踪事件”に、犯人の意思が込められている可能性が高い。犯人は、そのためにメモリを入手したはずだからね」
 「なるほど!フィリップくんさすが!」
 亜樹子がフィリップに親指を立ててみせる。
 「よくわからないけどさすが!」
 こいしもその真似をした。
 「最初の失踪事件の被害者は?」
 と翔太郎が訊くと、
 「御影英彦、32歳とその妻の由美、26歳。昨年の7月の新婚早々、二人によるコンサートが行われた風都文化ホールの楽屋から失踪した」
 と竜が答える。
 「御影英彦は風都フィルハーモニー管弦楽団のオーボエ奏者で、ソリストとしても日本各地で活躍していた。妻の由美もピアニストで、地方公演で共演したことがきっかけとなり、結婚したようだ。結婚したのは6月。ヨーロッパへ二週間の新婚旅行に行った後すぐの失踪。状況から心中などは考えられない。誘拐事件かとも思われたが、脅迫もなく、死体も発見されない。まったく不可解のまま、次々に失踪事件が起きることになった」
 「最初の事件での容疑者はいなかったのか?」
 と翔太郎が訊くと、竜は答えて、
 「御影英彦は多忙だったが仕事や金銭に関してはきっちりしていて、その方面で恨みを買うことはなかったらしい。ただ、私生活ではアーティストらしいというのか、女性関係が派手だったようだ。聞き込みの結果、彼に捨てられた女性も多かったことがわかっている。その怨恨の線で捜査が行われたが、捜査線上に浮かんだ女性全員に完全なアリバイがあり、あっさり立ち消えてしまったそうだ」
 「でも、空間を操るドーパントなら、瞬間移動でどうにでもなるんじゃない?」
 と亜樹子。「きっとそうよ!ドーパントの力を使っての完全犯罪!蓮子ちゃんとこいしちゃんにも女が関わってるし、そのうちの誰かが犯人に違いないわ!」
 「まだ断定するには早い」
 竜が亜樹子をたしなめる。「しかし、とりあえずはその線で片っ端から洗い直してみるか。手間はかかるが」
 「いや、その必要はない」
 フィリップが竜を制した。「僕が“検索”してみよう」
 竜は眉をひそめて、
 「この材料だけでできるのか」
 フィリップは翔太郎のほうを向いた。
 「翔太郎」
 「ああ、やってみるか」
 翔太郎の返事に、フィリップは目を閉じて両腕を小さく開いた。
 「さあ、“検索”を始めよう―――」
 フィリップの意識が“地球(ほし)の本棚”とリンクし、意識下の彼の周囲に無数の本棚が出現した。
 フィリップの様子を見たこいしが、
 「何やってるの?面白そう」
 と亜樹子に訊く。亜樹子は人差し指を口に当てて、
 「ちょっと調べごとよ。静かにしててね」
 「ふーん」
 こいしは蓮子の隣に座ると、すうっと目を閉じた。
 「翔太郎、最初のキーワードは」
 フィリップの問いに、翔太郎は、
 「“御影英彦”」
 と答えた。
 すると、フィリップの周囲の本棚が移動、整理され、その数を大きく減らす。
 「二つ目は」
 「“女性関係”」
 また、整理される。
 「三つ目は」
 「そうだな・・・」
 翔太郎はしばし考えて、
 「“風都文化ホール”」
 と言った。
 またも本棚が整備され、彼の前に二つの本棚が残った。
 「そこまで絞るのか?」
 と竜。翔太郎はうなずいて、
 「文化ホールでのコンサートの楽屋から失踪したんだろう。いくらドーパントとはいえ、楽屋付近の部屋割りを知らなければ、そうそう完全に事を運ぶことはできない。ホールの舞台裏はまず一般人が入ることのない所だから、そこの利用者、関係者が犯人の可能性が高い」
 「なるほどな」
 「・・・・・・もうひとつキーワードはあるかい?」
 フィリップは二つの本棚を見上げながら言った。「彼にはずいぶんと人生経験があったようだ」
 「うーん、これ以外には・・・」
 「やはり材料が足りないか」
 竜がふんと鼻から息を吐く。
 と、そのとき、
 「うわっ!君、どうやってここに・・・!」
 フィリップがいきなり頓狂な声を上げた。
 「何!?どうしたフィリップ!」
 翔太郎がフィリップに駆け寄る。
 フィリップは慌てた声で、
 「そ、そこの子が、ここに・・・!」
 「そこの?」
 亜樹子は蓮子とこいしのほうを見た。すると、蓮子にもたれかかって目を閉じているこいしがくすくす笑いながら、
 「ねえ、なに面白そうなことやってるの?」
 と言った。
 「ええー!?」
 亜樹子は仰天した。「まさか、こいしちゃんが、フィリップくんの、本棚に!?」
 「そんな馬鹿な!」
 翔太郎も驚いて、
 「おいフィリップ、こいしちゃんがそこにいるのか!」
 と訊いた。
 「そうだ。彼女もまた特殊な存在のようだ・・・」
 と答えたフィリップの前で、こいしが“地球の本棚”を物色し始めた。
 「こら、やめるんだ」
 フィリップは止めようとしたが、こいしは笑いながらするりするりと彼の腕をかわし、ぴょんと本棚の上に飛び上がると、一冊の本を抜き出してぽいっとフィリップのほうに落とす。
 「おっと・・・!」
 フィリップはなんとかそれをキャッチし、
 「本を手荒に扱ってはだめだ!」
 とたしなめるように声をかける。
 「ふふっ、ごめんなさい」
 こいしは本棚の上に腰掛けて笑いかけ、
 「でも、その本、何だか面白そうな気がするの」
 と言うとフィリップの横に飛び降り、本を覗き込むように身を摺り寄せて、
 「ね、早く読んでみて」
 と彼の顔を見上げる。
 「・・・・・・・」
 フィリップはしぶしぶその本を開いて手早くめくっていたが、すぐにその目が見開かれた。
 「これは・・・!ビンゴかもしれない」

(Aパート終わり、CM)

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