妖怪ハンター〜土着信仰


 

 
 巨大な藁の大蛇は飯島の細い体を完全に捉え、全身を締め上げている。その光景は、神楽「八岐大蛇」のクライマックスにおいて大蛇と戦う中、大蛇に巻きつかれるスサノヲノミコトの姿を彷彿とさせた。もっとも、飯島はただの人間だった。その点では、ギリシア神話のトロイア戦争において、トロイの木馬の正体を見破った為に海神ポセイドーンの放った大蛇に絞め殺されたトロイアの神官ラオコーンのほうが近いだろうか。
 飯島は恐怖と苦悶の表情を浮かべている。何が起こっているのか全く理解できていないだろう。
 “私は警告した”
 「!!!」
 背後で声がした。「あの少女」の声だった。
 “神域を侵す者には容赦はしない”
 心臓が止まるような威圧感。それがすぐ背後にあった。体は鋼鉄になったようにぴくりとも動かない。もとより声など出るわけがない。
 “あいつは生かしてはおかない。もうだめだ。あなたも引き返しなさい。そして、この事について詮索してはならない”
 不意に大蛇がぐいっと下を向き、ばくっと飯島の頭にかぶりついた。そして、
 ガサ・・・ガサガサガサ・・・!
 その体を呑み込んでゆく。
 「・・・・・・・・!」
 背後の恐怖、そして藁の大蛇が人を喰ってゆくという恐ろしい情景に私はもはや正常な感覚を失い、夢を見ているかのように呆然としていた。
 “この事を人に話してもどうせ信用されない。亡骸も別の場所で見つかるのだから”
 大蛇はどんどん飯島の体を呑み込んでゆく。
 “従わなければ、あなたもあのようになるわ、先生・・・”
 ガサガサガサガサ・・・・・!!
 大蛇が再びぐわっと鎌首をもたげ、天を仰いだ。その口からはまだ飯島の脚が覗いていたが、それは徐々に口の中へ沈んでいき、ついには完全に呑み込まれてしまった。
 ガサッ!!
 次の瞬間、大蛇は茂みの中に身を沈めた。その途端、その巨躯は地上から消え去り、それっきり何の物音もしなくなった。
 風が吹き、周囲の草をざわざわと鳴らした。それが、一人の人間のこの場からの消滅を強烈に印象付けた。
 “あなたは早苗を助けてくれた。だから今ここから引き返せば、命を取ることはしない。でも、一歩でも先に進んだら、殺す”
 その声とともに、背後の威圧感がすっと消えた。
 その言葉が本気であることは、飯島の最期を見れば明らかだった。私はもはや先へ進めず、振り返って事務所へと引き返しはじめた。
 途中、道路の手前で神野が倒れていた。おそらく、江坂のように「彼女」を見てしまったのだろう。
 私は、神野を背負って事務所へと戻った。
 事務所へ戻ると、事務所は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
 飯島が水死体で見つかったというのだ。

 

 
 「先生、飯島君は山へ向かったのではなかったよ」
 坂崎は悄然として言った。「池の方へ向かって・・・」
 「どういう事です?」
 私は混乱して訊ねた。「飯島さんが・・・池から!?」
 「正確には、池のすぐ近く、池から田へ水を引く水路からだ」
 坂崎はため息をついて首を振った。「池へ身を投げたあと流れ出たのか、池へ向かう途中に足を踏み外して落ちてしまったのか、それはわからんが・・・それほど思い詰めていたのか・・・何も死ぬことはあるまいに・・・」
 「そんな・・・」
 飯島は私の目の前で藁の大蛇に呑み込まれた。それが池の方から見つかったというのか。
 「池の方に向かったのであれば発掘の作業員さん達が目撃するはずですが、誰か彼を見たのですか」
 「いや・・・誰も見てはおらんそうだ。だが実際、彼はそちらで見つかったのだからそうとしか考えられん」
 「・・・・・・」
 今、私が自分の見たことを力説しても、さすがに頭がおかしいとしか思われないだろう。逆に怪しまれるかもしれない。
 (あの少女がやったというのか)
 私は震えた。
 「とりあえず警察と救急車を呼んだ。神野くんも怪我してしまったようだし、残念だが、発掘は中断せざるを得んか・・・」
 神野は倒れた時に頭を打ったようで、頭から血を流していた。意識は取り戻したが、まだ夢を見ているような状態であり、今は事務所で寝ている。
 ほどなくパトカーのサイレンが聞こえ、パトカーが停まると、近隣の駐在所の警官であろう二人が出てきた。救急車はまだ到着しないようだった。


 私と坂崎は警官たちとともに現場へ向かい、変わり果てた飯島の姿を見た。
 坂崎が警官にこれまでの経緯をやや早口でまくしたてるように説明する。さすがに平静ではいられないようだった。
 「発見者は?」
 と警官が訊くと、江坂を含む若い作業員三人が手を挙げた。
 江坂の話によると、飯島が姿を消してしまったために作業を一時中断して探していたところ、この辺りで人影を見、連れ立って来てみるとここで水路に浮かんでいる飯島を見つけ、急いで引き上げたもののすでにこと切れていた、ということだった。
 「人影はこの人の?」
 と警官が訊く。
 「いえ・・・」
 別の者が首をかしげて、「遠目からだったので、わかりません。何か人のようなものが動いているのが見えたので、もしやと思って・・・」
 「人のようなもの・・・はっきりとは見えなかったんですね?」
 「はい・・・でも、ここへ来た時には、周りには誰もいませんでした」
 「ならば、この人でしょうね」
 やがて市の本署からの応援と救急車が駆けつけ、検視が行われた。
 一応アリバイも訊ねられたが、私と神野が山の方へ向かったことは坂崎が証言した。
 「仮に殺人事件だったとしても、山から人知れず戻ってきて、どこにいるかもわからん飯島君を探し出して殺して水路へ投げ込んで、また山の方から戻ってくるなど無理な話だ」
 「ですなあ」
 警官も同意した。
 坂崎も事務所から離れることはなく、ずっと作業員に見られていたためにこれも怪しい所はなかった。作業員たちも単独行動をした者はなく、発見者の三人が共謀して飯島を殺し、それを隠蔽する必然性も全くなかった。また、神社の方の集落にいる村人が今日来たばかりの飯島を殺害する動機があろうはずもなく、よって、飯島の死に関わる動機や可能性のあった人間は、この場には誰一人としていなかった。
 「自殺でしょうな」
 と警官は言った。「不祥事を責められ、罰せられるのを怖れて発作的に自殺してしまったんでしょう。短絡的ですが、直前にも発作のようなものを起こして気絶しているようですし、ストレスが溜まると衝動的な行動に出てしまうタイプだったのでしょう」
 私は山の方を見た。
 あそこからここまで500m以上ある。どうやって運んできたのだろうか。いや、藁の大蛇が動くのを見てしまえば、その程度の事は何とでもなるのだろう。それに、作業員が人影のようなものを見たことから、飯島の遺体は早く発見された。そうでなければ飯島はなかなか発見されず、他から離れて行動した私や神野に疑いが向けられる可能性もあった。あの人影は、我々へ疑いが向けられることを未然に防いだのだ。これもあの少女がやったことなのだろうか。
 “あなたは早苗を助けてくれた。だから今ここから引き返せば、命を取ることはしない”
 あの少女はそう言った。やはり彼女は守矢神社と関係があり、神社を、少なくとも東風谷早苗を護ろうとしているのだ。
 「しかし、なぜ彼がそのような虚偽をもって発掘を強行させたのかがわからんのです」
 坂崎が警官に向かって尋ねている。「そこらへんまでわかりますかな」
 「そこまでは本官らの調べる所では・・・」
 警官は頭をかいた。「そういう内輪事は市役所のほうで調査されるのではないですかね」
 「そうか。なら・・・あいつに話をして、きっちり調べさせるかな」
 坂崎は宙に目を泳がせ、おそらく市役所にいる知り合いのだれかを思い浮かべながらつぶやいていた。市会議員なら、いろいろと顔も利くのだろう。私も、それについて知りたかった。
 

 


 私は大学の講義のためにひとまずこの地を離れなければならず、その夕方は市の駅前のホテルに泊まった。
 その晩、私は坂崎の携帯に電話をかけ、飯島の件で調査があればその結果を自分も知りたいと伝えた。坂崎も私がこの件に関わっていることを鑑み、それを了承した。あの場で切り出さなかったのは、「あの少女」が私たちを見ているだろうと思ったからだった。おそらく、村を出ればあの少女の力は届かない。
 いったい、飯島はあそこに何があると思っていたのだろうか?あの場所は屋敷跡のようだった。飯島はあの場所と何か関わりがあったのだろうか?もはや当人からは聞くことができない。彼の身辺から推測するしかないだろう。
 その時、携帯が鳴った。見ると、電話帳に入っている者からではなかった。坂崎でもない。
 一瞬警戒したが、発信者の番号通知はなされていた。つないでみる。
 「もしもし」
 “もしもし・・・こんばんは、東風谷です”
 早苗からだった。そういえば彼女にも名刺を渡していた。
 「ああ、早苗くんだったか。こんばんは、今日は大変だったね」
 “はい・・・大変ご迷惑をおかけしました”
 「いや、それはこちらが言う事だ。大変な所に連れてきてしまった」
 “いえ、それは自分で望んだ事ですから・・・あの時は本当にありがとうございました。稗田先生がいなかったらいったいどうなっていたか・・・あの時はお礼も言えず、本当に失礼しました”
 「ああいう問題は以前も聞いたことがあるのでね。それよりも佐兵衛さんは大丈夫だったのかい」
 “はい、なんとか・・・大丈夫でした。御心配おかけしました”
 「それならよかった。農作業をされているようだったから、まだ体は頑丈のはずだからね」
 “・・・・はい・・・・”
 「早苗くん?」
 “あ、すみません・・・先生、今日は本当にありがとうございました。私、法律とかそういうことは何もわからなくて・・・これからも、わからないことがあれば力になって下さいますか?”
 「ああ、今朝言った通りだ。力になろう」
 “ありがとうございます!あの、こちらからは、何もお返しできませんが・・・”
 「いや、それは気にしないでいい。まあ、君のお礼の言葉で充分だよ」
 “もう、先生ったら・・・”
 電話の向こうで早苗の苦笑いが聞こえた。
 “今日は本当にありがとうございました。それだけが言いたくて・・・それでは、失礼します。おやすみなさい”
 「ああ、おやすみなさい」
 電話が切れた。
 神社については不可解で恐ろしい影がつきまとっているが、少なくとも彼女は真摯に、精一杯神社を守ろうとしている。それは何としても守ってやらなくてはならない。しかし、そのためには、守矢神社について深く知る事を放棄しなければならない。私はそのジレンマについてあれこれ考えるうち、眠りに落ちた。

(つづく)

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