「わしらの山のことで何を言い争っておるんかの」 と佐兵衛は言った。 「佐兵衛さん!」 早苗が驚いて佐兵衛を見つめる。 「こ、こんなところに出てきて・・・!だめです!早く家へ・・・!」 「風祝様が困っておるのに、黙ってはおれませぬ」 佐兵衛は飯島を睨んだ。「偽りを申し立ててわれらの山をお上のものとしようとは言語道断」 「な、なにを」 飯島はひきつった笑いを浮かべて、土地の謄本を掲げた。 「これを見てください。この山は市の土地です」 しかし、佐兵衛は首を振って言った。 「わしらの山は、江戸の世よりわしらの村の入会地じゃ。お上に譲り渡した覚えはない」 「な・・・」 「そういう事ですか」 私は飯島に向かって言った。 「明治初頭の地租改正の時、官没されずに民有地となった入会地の所有名義は申請者の任意に任されていた。そのため、ここがこの辺りの村、正確には旧郡村制下の村の入会地であったならば、その時に旧村名を記入したということでしょう。その後、町村制の施行とともにそういった入会地は新制度下の町村名義に変更された。しかし、その場合でも入会地の権利は旧村が持っているという見解が有力なはずだ。だから所有者が市町村であったとしても、それが即、官有地であるということにはならない。入会地ならば、土地の処分は旧村区域内の人々の意思に任される。それを官有地として扱えば、財産権の侵害にあたる」 佐兵衛は私の言葉に続いて、 「言うとることはよくわからんが、とにかくこの山は、先祖代々、わしらの入会地じゃ。わしらの目の黒いうちは、神社に指一本触れさせんぞ」 「・・・・・・!」 今度は飯島が真っ青になった。 私は飯島に少し強く出てみた。 「あなたはそれを知らなかったのか。知らなかったとすれば、公務員としていかがなものか。知っていたとすれば、皆をペテンにかけて発掘を強行させたことになるが・・・いったいどういう事か、説明していただきたいですね」 「・・・・・・・・・」 飯島はぶるぶると震えている。 「どういう事かね、飯島君」 坂崎も飯島を睨んだ。「君はそういうことを一言も私に説明しなかったな」 「う・・・あ・・・」 飯島はかすれ声を上げながら辺りを見回した。 坂崎、神野、早苗、佐兵衛、そして発掘に携わる面々がじっと飯島を睨んでいる。 「は・・・は・・・・・・・ぉうっ」 飯島は何か言おうとしたが、あまりにも緊張してしまったのか、突然全身を痙攣させ、仰向けに倒れてしまった。 私たちが驚いたのと同時に、 「佐兵衛さん!」 早苗の悲鳴がした。見ると、佐兵衛もその場に膝をつき、がくりと頭を垂れていた。 私が助け起こそうとしたが、それよりも早く早苗が佐兵衛を肩に担いで抱き起した。 「佐兵衛さん!しっかりしてください!」 「す、すぐに事務所へ・・・!」 神野が言いかけたが、早苗は、 「家へ連れて帰ります!」 と切迫した調子で言った、と同時に凄まじい旋風が巻き起こった。 その勢いは目も開けていられないほどで、皆、顔を覆って身を縮こまらせ、そのまま風が収まるまでじっとしているほかなかった。 やがて風が収まり、目を開けて辺りを見回すと、早苗と佐兵衛の姿はなかった。 (この風の中を帰って行ったというのか・・・) 早苗は不思議な能力を持っているようだった。この風も、彼女が起こしたのだろうか。 私は倒れたままの飯島を見下ろして、 「こっちを事務所で介抱しましょう」 と言った。 「放っておきたいくらいですが」 神野はふうと息をついて言った。「仕方ありませんな。なぜ皆を騙して発掘させようとしたのか、問い詰めなければなりませんし」 私は早苗の後を追ってみたかったが、おそらくは「あの少女」の心には叶うまいと思って断念した。 「それにしても」 神野は神域の方を見やって、「あの子はつくづく不思議な子ですな・・・それにあのお爺さんも絶好のタイミングで入ってきたものです。かなり無理をしたようですが・・・」 (無理・・・) 私はまたも心に引っ掛かるものがあった。先ほどの早苗と佐兵衛との会話からすると、彼は農作業に携わっており、体はなお壮健のはずだ。それが、ここへ来て少し喋っただけであのようになるものだろうか?しかし早苗の慌てぶりを見ると、ここまで来ることがまるで致命的な事のようだった。どうにも矛盾している。早苗が神域の発掘を極端に拒むことといい、この村には、何か重大な秘密があるのではないだろうか? 「とりあえずは、神域の発掘は問題があるとわかって安心しましたよ」 神野は私の方に向き直って言った。「二組目の御柱発掘に全力を集中できます。まず坂崎さんにそれを説明したほうがよさそうですね」 「それがいいでしょう。あの人もそういう事が好きそうですしね」 私は肯いた。 |
神野から現在の方針について聞かされた坂崎は果たして大喜びした。 「それは面白い!稗田さんは異端の学者と聞いたが、それでこその奇想天外な説ですな。もし見つかれば、面白いことになりそうだ・・・残り時間があまりないのが難しいところだが」 「全力を尽くしましょう」 神野は力強くうなずいた。 「しかし、あの子は風とともに消えてしまったかのようじゃないか。風祝というようだが、本当に風を操るのだろうか」 坂崎は椅子に深くもたれて言った。 「テレビドラマでは何かのトリックとされそうだが・・・」 そしてこちらを見て、 「そういえば先生はそのドラマの主人公に似ていますな」 「そうですかね」 私は顔をしかめた。あんなに濃い顔はしていないはずだが・・・ 「まあ、仮説の通り守矢神社が諏訪の信仰の源流となれば、その祭祀を一子相伝で守り伝える一族がそのような力を持っていてもおかしくないと思えてくるが」 「同感です」 神野もうなずいた。 「それにしても、飯島君はどうしてまたこのような事を仕出かしたのか・・・」 坂崎は首を振った。 「何もお聞きでないのですか」 と私は聞いた。 「彼から山が元入会地だなどと聞いたことはない。法的には何も問題はないと言っていた」 坂崎は首を振って言った。「旧土地台帳を調べれば一般人でも簡単にわかることだ。知っていて黙っていたとしか思えん」 「それに、指定の発掘範囲も考えてみればおかしいのです」 神野は図面を広げた。「ここからここまでが神域の範囲内に入るのですが・・・ここは集落のはずれの山裾で、確かに何かがあるかも知れませんが、かといってわざわざここまで広げる必要性があるのかも疑問なのです」 「発掘範囲については飯島君に任せていたが・・・」 「まるで、その場所を掘らせようとしているかのようです」 と私は言った。「彼は、少なくとも“そこに何かがあるはずだ”と考えていたとしか」 「ふうむ」 坂崎は首をかしげた。「そのような観測については何も聞いてはおらん。入会地の事を隠して掘らせようとするなど言語道断だが、そうするに値する何らかの理由があったのか・・・?」 「目が覚めたら問い詰めなければなりませんね。もとより公務員として大問題です」 と神野。 (もしかすると飯島は、この村の秘密について何か知っているのだろうか。そして、その何かを確かめるためにこのような事を・・・?) 「神野さん!」 その時、部屋の戸を開けて女性の発掘作業員が入って来た。 「どうした!」 神野が思わず立ち上がる。「何か見つかっ・・・」 「あの人が・・・ものすごい勢いで、外へ飛び出して・・・!」 「教育委員会のか!?」 「はい!」 その場の全員が立ち上がった。 「どういうことだ!?」 と坂崎。 「もしや・・・例の区域に」 私は山の方角を見て言った。 「神域のか!」 「おそらく」 「何をするつもりだ・・・!」 神野が歯噛みする。 “ただし、掘ってはならない所を掘ったら・・・祟るわよ” 「あの少女」の声が脳裏に蘇った。もし彼が神域に向かったのであれば、彼の命が危ない。止めなければならない。 私は真っ先に事務所を飛び出した。神野がそれに続き、坂崎はやはりその体躯が祟って、事務所から少し走ったところで立ち止まり、ぜいぜいと息をついていたが、それに構っている暇はなかった。 |
舗装道路を横切り、神域内の発掘計画区域へと入る。そこは集落の南のはずれ、山裾の平坦地で、周囲には崩れた石垣が散見されることから元は田畑があったようだが、現在は草地になっていた。 (ここに何かがあるというのか・・・?) その中に木々の密集している所があった。その周囲の石垣からして、そこは屋敷跡のようだった。ただし、建物は存在していない。 (もしや、あそこか) そう思ってそちらに向かいかけた時、その茂みから、 「ギャアアアアアー!!」 という身の毛もよだつ絶叫が飛んできた。 思わず立ち止まった時、茂みが激しく揺さぶられたかと思うと、その中から、巨大な藁作りの大蛇がぐわっと鎌首をもたげた。 「な・・・!」 藁の大蛇はよく神社の鳥居や標柱に懸けられているが、それとは比べ物にならない、出雲大社や諏訪大社の大注連縄を思い出させるような圧倒的な胴の太さをもつ大蛇だった。尾の部分は見えず、その全長はわからない。 そして、その大蛇は、飯島をその太い胴体でぎりぎりと締め上げていた。 私は、そのあまりにも奇怪で恐ろしい情景に金縛りになってしまった。 (つづく) |