私が参拝を済ませると、早苗は社務所(正しくは諏訪大社上社前宮にかつてあった施設と同じ、神殿〔ごうどの〕というようだ)に私を招き、コーヒーとお菓子を出してきた。この辺りは現代っ子らしい。 「神社から離れた所を掘っていただけるなら私たちも文句はありませんが・・・何か出るんでしょうか?」 と早苗が訊いてきた。 そこで、私は発掘場所変更に至ることになった仮説を話して聞かせた。 「はあ〜〜・・・」 早苗は目を丸くして聞いていた。そして想像するように目を虚空に漂わせ、 「それはなんとも豪快ですね!」 と言った。 (わかりやすい子だな) 完全に素の反応だったので、私は苦笑した。 「そういう言い伝えを聞いたことはないかな」 と聞くと、早苗は首をかしげて、 「そういう事を聞いたことは・・・ないです。先代からは今のことを学ぶのに精一杯でしたので、昔の事までは・・・」 「社に伝わる何か古い文献はあるかな」 「ありますが・・・これは門外不出と固く言われていますので、誰にも見せられません」 これはきっぱりと言い切った。 「そうか、残念だ」 「でも、そんな光景、見てみたいですね・・・」 早苗は夢見るように言った。 「広い湖の中、御柱が列をつくって御神渡りの道になって、神社へと向かう・・・見る人はみんな度肝を抜かれて、八坂様の御神威を称えるでしょう・・・」 (ヤサカ様?) ふと出てきた固有名詞に私は首をかしげた。八坂刀売神のことだろうか。 「八坂様とは、八坂刀売神のことかい?」 と訊くと、早苗ははっとして、 「は、はい、そうです」 と言った。 「国史では、諏訪大社の八坂刀売神はあくまで建御名方神の『前』、配祀神という扱いで、神階も一ランク遅れて授けられていた。守矢神社ではそうではなく、八坂刀売神が主神ということ、だろうか?」 私がさらに訊くと、早苗は、 「手続き上は主祭神とその他をはっきりさせる必要があるのかもしれませんが、私にすればどちらも大切な神様ですので、どちらが上、下という気持ちはありません。ただ、女神さまですので、私からすれば親しみやすいというだけです」 と答えた。 (はぐらかしたな) と私は思った。おそらく、表向きは建御名方神が主祭神で八坂刀売神が配祀神となっているが、その実は八坂刀売神が重んじられているのだろう。歴史の中で建御名方神と八坂刀売神の立場が逆転することはまず考えられないので、ごく古い時代からそうなっていると考えられる。八坂刀売神はそれほどの信仰を集める神であったのか・・・? 「なるほど。で、そこでもう一組でも御柱が発見されれば、その場所はもとは湖底であったことが確実なので、湖中の御柱列柱説の裏付けとなる。そうなれば、守矢神社の特異な祭祀形態が注目され、世の脚光を浴びることになると思う」 「人が多く来るのですか?」 「まず、歴史ファンは多く訪れるだろうね」 早苗は複雑そうな顔をした。 「そうなればこの村も活気を取り戻しそうですね・・・でも、ただの好奇心で来られるのも・・・複雑です」 「初めは仕方がない。それがきっかけになって多くの人に知られれば、理解のある人も現れるはずだ。もちろん、私も力になる」 「そうですか・・・」 早苗はしばらくの間考え込むように目を伏せていた。 まるで寝てしまったかのように動かなくなったので、声をかけようとした時、早苗はぱっと顔を上げてこちらを向き、 「やっぱり、村が昔のように賑わうのが一番ですね。そのために守矢神社が注目されるのなら、力にならなければ!」 と、先ほどの迷いのかけらもなく言った。 「あ、ありがとう」 私はその豹変ぶりにやや面食らいながらも頭を下げた。「何かあったら、必ず力になる。約束しよう」 その時、私の携帯が鳴った。神野からだった。 “先生!ちょっと困ったことが・・・戻ってきていただけますか” 「神野さん?いったいどうしたんです」 「何か・・・あったんですか?」 早苗が眉をひそめて言った。 |
私はすぐに山を下りることにしたが、早苗が、 「私もついて行きます。どんなことをしているのか、私も知りたいので」 と頼み込んできたため、一緒に山を下っていった。 「何があったんですか?」 と早苗が訊いてくる。 私は携帯を見ながら、 「何でも、市の教育委員会の人が来るそうだ。発掘の進捗状況を見に来るらしい」 「教育委員会・・・めんどくさそうですねえ」 早苗は顔をしかめた。 「来訪の目的がわかるのかい?」 と訊くと、 「いえ、言葉の響きが」 「勉強はそれほど好きではなかった?」 「はい」 「だろうね」 「それ、どういう意味ですか?」 「たいていの子供は、学校の勉強が苦手なものだ。私もね」 「そう、そうですよね!」 雑談しながら参道を下ってゆくと、件の老人がまだ道端にいた。 「おはようございます、佐兵衛さん」 早苗がにこやかに挨拶する。 佐兵衛と呼ばれたその老人は、驚いたことにその場に正坐すると、 「風祝様、おはようございます」 と、地面と平行になるまで上体を折って拝礼した。まるで神に対するかのような所作だ。 私は驚きの目で早苗を見た。 早苗は優しい眼差しで老人を見つめながら、 「今日もいい天気ですね。稲もすくすく育ちそうです」 と声をかけた。 佐兵衛というらしい老人は上体を少し起こし、 「これも風祝様が神様に雨と風を祈られている御蔭にございます」 と答える。早苗はにこりとして、 「くれぐれも無理はしないでくださいね」 と言った。すると佐兵衛は深く平伏したまま、 「風祝様の仰せの通りに」 と、再び深く拝礼した。 (村人はこれほどまでに風祝を崇めているのか・・・まさに現人神・・・) 私は、東風谷早苗の背負っているものの重さをここに実感した。 「稗田さん、行きましょう」 早苗に促され、再び歩き出す。 「風祝という職は、実に重いものなんだね」 私はふうと息をついて言った。 「はい。でも、それが私の使命ですので」 早苗はさらりと言った。そういう血筋ゆえに当然の事として受け止めているのだろうか。 「それにしても元気な方だね。あの歳でまだ農作業に従事されているとは」 私がやや社交辞令的に言った時、早苗はなぜかふっと顔を曇らせて、 「そうですね・・・はい、とても」 と、はっきりしない返事をした。 「?」 私は何かおかしい、と思いつつ、 「何歳になられるのかな」 と訊いた。 「ええと・・・八十一の・・・八十四です」 「八十四!お元気だね」 そう言ったものの、私の疑念はさらに大きくなった。 (八十一の八十四?普通は生まれ年から計算するものだが・・・それに八十一は祝い歳でもない。祝い歳で覚えるならば、八十の傘寿を基準にするはずだ。なぜ八十一が基準となるのだろう) 「三年前になにか記念になることでもあったのかい」 と訊いてみると、早苗はさっと青ざめた。 「いえ、別に・・・」 「変わった覚え方をしていると思ってね」 「それは・・・ええと・・・九九八十一ということで・・・」 今考えたということは明らかだった。 (なぜこれほどまでに狼狽する必要がある?) さらに訊こうとした時、私の背筋がぞくっとした。 (これは・・・昨晩の・・・・・・) あの少女の出していた威圧感だ。 (これ以上突っ込むなという事か) 私が口をつぐむと、その威圧感はすうっと消えた。どうやら「彼女」は私を監視しているようだ。しかし、村人に関して何か秘密があるというのだろうか? それからは互いに言葉を交わすこともなく、発掘現場へと戻ってきた。 そこには、初めて見る二人の男がいた。一人はひょろりとした細身の男で、一人は小柄な太った男だった。タクシーが走り去っていったので、たった今到着したようだ。 |
「私は、教育委員会の飯島(仮名である)です」 ひょろりとした男は私に名刺を差し出した。 平均的な身長で痩身、きっちりと整えられた頭髪にメガネと、いかにも漫画やドラマに出てくるステロタイプのインテリといった風だった。 「市会議員の坂崎(仮名である)です。よろしく」 対照的に小柄で太った体躯の壮年の男が名刺を差し出してきた。眼がくりくりし、いかにも物好きそうな顔立ちである。おそらく、彼がこの発掘事業を推進しているのだろう。 「稗田です」 私も二人に名刺を返す。 「お名前はうかがったことがありますよ。異端の考古学者であると」 飯島はうさんくさそうな目つきでこちらを見た。神野がむっとして言い返そうとしたが、私が目配せして制した。 「こちらは」 飯島は早苗の方を見て神野に訊いた。 「守矢神社の風祝・・・一般の神社でいう宮司ですね、東風谷早苗さんです」 と神野が紹介する。 「はじめまして、東風谷です」 早苗は先ほどの事を引きずっているのか、やや力ない声で挨拶した。 「そうですか。飯島です、よろしく」 飯島は早苗が余りにも若いのに驚いた風だったが、早苗にも名刺を渡した。しかし、その視線は何か怪しいものを見るようだった。 それに続いて議員の坂崎も早苗に自己紹介して名刺を渡し、 「のどかなよい所ですな。あとで神社のほうにも参拝させていただきますよ」 にこにこしながら言った。 「あ、はい」 早苗はうなずき、ちらりと飯島の方を見た。彼が自分に良い印象を持っていないことを敏感にさとったようだ。 「さて」 飯島は神野のほうを向いて、 「今日うかがったのはほかでもありません。発掘の進捗の遅れについてです」 と言った。 「所定の期限はもう近づいていますが、報告ではほとんど発掘が進んでいない様子です。予算は限られていますから、延長はできませんよ。何をぐずぐずしているのですか」 「確かに発掘範囲は狭いですが、御柱二本と、廃棄された土器を発掘しています。成果が出ていないわけではありません」 と神野が言うと、 「その報告はもう受けています。それ以降、発掘が進捗していないのはどういうわけですか」 「それは・・・発掘区域が守矢神社の神域にかかっているためです」 「神域に?」 「はい」 「神域というのは、何を根拠に?」 「神社の風祝さんと、氏子の方々の仰る範囲です。それが昔からの神域であると」 「何を言っているのですか」 飯島は足元に置いていた鞄を取り、中から書類を何枚か取り出した。そして、 「あの山はすべて官有です」 土地の謄本を広げた。「発掘に何の障害もありません」 「しかし・・・あの山には神社が!」 「そのような宗教法人登記はありません」 飯島は冷たく言った。「官有地で、国の認証も得ずに宗教活動を行っているだけです。これは政教分離の原則にも反します。本来あの場所にあってはならないものです」 「何を・・・!」 神野が気色ばんだ。 私は早苗を見た。その顔は当惑に呆然としている。こういう法的な事は何も聞かされていないのだろう。おそらく、先代も知らなかったに違いない。 「あの神社ははるか昔からあそこへ鎮座しているのですよ!それを、本来あってはならないものだとはなんたる言いぐさですか!」 「現在あるものは現在の法に従わねばならない。歴史など問題ではありません」 飯島はメガネを直し、冷徹に言った。「神社も、このような過疎地ではなく別の場所に移れば、もっとましになるでしょう。この山を掘って歴史的大発見になるのならば、そのほうが村のために利益になり・・・ぎゃ!!」 私がいかん、と思って神野を制止しようとした時、すでに神野は飯島を殴り倒していた。彼は普段は温厚だが、かっとなると見境がつかなくなる性格だった。 神野は倒れた飯島に向かって怒鳴りつけた。 「あなたはそれでも教育委員会の人間か!!遥か昔から続く人間の営みを、文化を、何だと思っている!!」 飯島は倒れたまま神野を見上げ、震える声で怒鳴った。 「貴様は発掘を遅らせただけでなく、糾弾されて弁解もせず暴力を振るうとは!解任だ!帰れ!!あとで訴えてやるぞ!」 「まあまあ」 議員の坂崎は穏やかに笑いながら、「君の言い方もよくない」 と諭した。そして、 「面と向かって言われたら、私でもおまえさんを殴り倒しているよ」 と凄む。 「は・・・はっ!」 飯島は恐縮する。 坂崎はさらに神野を見て、 「怒りはもっともだが、実際に手を出すのは感心できんね」 と言った。小柄だが結構な威厳があるのは、やはり市議会議員、その地元の名士であることからの貫禄だろう。 「申し訳・・・ありません」 神野はまだ息が荒かったが、素直に頭を下げた。 早苗の顔は完全に青ざめていた。そして震えながら私の方を見て、 「稗田さん・・・どういう・・・ことなんですか」 と言った。 「守矢神社の鎮座している山は、すべて官有地、国のものということだ。あの謄本からすると、正確には市の土地ということのようだが」 「そんな・・・嘘です・・・あの山は、昔から・・・守矢神社の・・・・・・」 「そうだ。それは間違いない。しかし、法律上はそうなっていないんだ」 「どういうことなんですか?わけが・・・わかりません」 彼女に法律上の知識があるはずがない。それが、神社の土地が神社のものでない、さらに本来あってはならないものとまで言われた衝撃は計り知れないだろう。説明しても、今の状態で理解などできるはずもない。理解しようとしても、到底納得できないだろう。 「あの山は・・・守矢神社の神域です!」 早苗が叫んだ。「昔から・・・ずっと、ずっと昔から・・・村の方々が守り伝えてきた・・・それが、私たちのものでないなんて、そんなはずはありません!」 「あの神社は宗教法人登録もなされていないし、土地の払い下げもなされていない」 飯島が立ち上がって言った。「これほどの田舎なので今まで見逃されてきたのでしょうが・・・こうなってはそうはいきません。何と言われようとも、あの山は市のもの。これは法律上、はっきりしています。よって、あなたが発掘を拒むことはできません」 「うそです!そんなこと・・・あるわけない・・・・・・!」 早苗はぶんぶんと首を振った。 「いきなりこういうことを聞かされて信じられないのはわかる」 坂崎が早苗をなだめるように声をかけた。 「しかし、これは法律上何の問題もない事なんだ。それに、山を根掘り葉掘り発掘する訳じゃない。麓をちょっと発掘させてもらいたいだけだ。なんとか許してもらえんかね」 しかし、 「だめです・・・!だめです・・・!だめなんです・・・!」 早苗はぶるぶる震えながら首を振る。「そんなことをしたら・・・・・全部・・・・・・!」 早苗の恐れようはただ事ではなかった。発掘を許したら、そこで守矢神社が終わってしまうかのような、それほどの切迫感に満ちていた。 「なぜそこまで恐れるのです」 飯島は糾弾するように言った。「何か掘られてはまずい事でもあるのですか?」 「それは・・・それは・・・」 早苗は震えながら首を振るだけだった。 私は、飯島の態度にも不審なものを感じた。まるで、発掘区域に何かがあることを知っている、もしくはあると思っているような・・・? 「飯島君・・・?」 坂崎もそれを感じたのか、彼に声をかけようとした時、 「何を言い争っておるんか・・・風祝様に無礼は許さぬぞ」 横合いから老人の声が割り込んできた。 見ると、それは先ほどの老人、佐兵衛だった。 (つづく) |