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次の日の朝、錯乱して臥せっていた者はすべて快復していた。ただ「その時のこと」は思い出せず、思い出そうとすれば言いようのない恐怖に襲われたが、それを除けばいたって健康になっていた。 「いったい何が起こったのでしょう。今までの事が嘘のように・・・」 神野は呆れていた。 私が神野に自分の考え(といってよいものだろうか)を伝えると、神野は大いに驚き、それから池の方を見て、 「神社から湖を渡る列柱が並んでいて、それが御神渡りの道であったと・・・」 とつぶやき、大きく息をついて小さく首を振ると、 「まったく、いつもながら先生の発想のスケールの大きさにはかないません」 畏敬の念を籠めて見つめられた。 私はやや後ろめたい気持ちで、 「いや、ものが出ない限りはただの思いつきにすぎません。神社の正面を池側に向かって掘ってください。かつては湖の中であった所です。ここから御柱が見つかり、その位置関係が今回見つかった御柱と神社と何らかの関連性が認められるようであれば・・・」 「かつては湖中に御柱の列柱が立っていた可能性が高まるというわけですね!これは諏訪大社にもみられない独特の形式・・・それをやるとすれば大変な労力が必要でしょう。陸上でなく水中に立てるなど、一村の人間でできることじゃない。少なくともこの地方の人間を総動員しなければ・・・それはとりもなおさず、この神社の神威と神社を奉じる勢力の強大さを意味します。そうなれば、守矢神社が諏訪の信仰の源流であるという説の補強になります・・・!」 「ただし、今はただの突拍子のない空想に過ぎません」 私は熱くなってきた神野をたしなめるように言った。「誰も本気にせず、笑い飛ばすでしょう。すべては、発掘の成果にかかっています」 「わかりました、先生!」 神野は私に向き直り、敬礼せんばかりの勢いで胸を張り、宣言した。 「きっと御柱を発掘してみせましょう!」 「あ・・・ああ、がんばってくれ」 私は気圧されてしまった。 |
神野が張り切って発掘を再開したので、私は改めて守矢神社へ向かうことにした。 参道を少し登り、背後を見返る。 この度、御柱が出土したのはやはり神社と池を結ぶ線上にある。現在の参道とはややずれているために、昨日はそれとわからなかった。長い時間のため、また江戸時代にこの周囲を開墾した時に参道がずらされたのだろう。この辺りの田畑の区画が整然とし、池の近くのように不自然な空白地ができていないのは、おそらくは往古よりこの周囲全てが守矢神社の神域になっており、列柱を立てる必要がなかったためだろうか。 並木道の杉の樹の下に、昨日と同じように山のほうを見つめている一人の老人がいた。 「おはようございます」 と声をかけると、老人は振り返った。昨日と同じ人だ。 「おはよう」 と挨拶を返す。「また山を掘りに来たんかね」 「いや、今日は参拝に」 私がそう答えると、老人は、 「ああ。でもあんまり風祝様を困らせんでほしい・・・山が呻いておる」 と言った。 私は眉をひそめた。これは昨日とほとんど同じ受け答えではないか。コンピュータロールプレイングゲームで、何度訊いても同じ事しか言わない村人が思い出された。 「そういうことはしませんよ」 私は微笑んで見せて、「今日もいい天気ですね」 と話を振ってみた。 「ああ」 老人は微笑んで、 「台風もようやく去ったしのう」 と言った。 「え?」 まだ初夏だ。それに、目の前には青々とした若い稲が一面に植えられているではないか。 高齢のために物忘れが激しい、あるいは記憶の混濁があるのだろうか?しかし、何となくだが、それよりももっと恐ろしい何かを感じ、私は思わず背筋がぞっとした。 老人はそれっきり黙り込んでしまった。 「では、失礼します」 私もそそくさとその場を立ち去り、神社へ向かう。 そういえば、昨日の夕方、江坂を運んで帰る時もあそこにいた。まさかずっとあそこにいるわけでもあるまいが・・・ この村は周囲を山に囲まれており、神社はその西の山麓にほぼ東向きで鎮座している。そして昔は湖であったであろう池が村の中央にあり、村の南と東には大きな峠があって、鉄道と県道がそこを通っている。 もし、御柱の列柱が湖を貫いていたのなら、その「神の道」は東の峠に続いていたのだろう。となると、守矢神社の祭神は「東から来た神」あるいは「東へと赴く神」となる。その神は湖を渡ったのだろう。でなければ、湖にわざわざそのような物を立てるはずがない。諏訪大社の御神渡りは上社と下社の間のものだが、ここでは渡った先には何もなく、村の外へ通じる道だけだ。あるいは湖の反対側に、かつては対となる神社があったのかもしれないが、今は確かめようがない。ただ、東の峠と神社の社殿の位置を結んだ場合、その直線上からは御柱はややずれていた。誤差だろうか? 杉の並木道を見上げる。これは、湖中に御柱を立てることが不可能になったため、その代わりに植えられたものかもしれない。 石段の前の鳥居まで来て改めて振り返ってみると、神野たちが位置を移して発掘にかかっている姿が遠くに見えた。 「うまく見つかればいいのだが」 と私がつぶやいた時、 「そうだねえ」 と声がしたので、驚いて辺りを見回したが、誰もいなかった。 (今の声は・・・昨晩の夢の・・・) やや恐る恐る石段を登っていったが、あの少女は姿を現さなかった。 (彼女は何者だろうか。この神社と関係があるのだろうか・・・) |
石段を登ると、穏やかな天候にもかかわらず、社殿周囲には風が吹き渡っていた。江坂は高所だからと言っていたが、ただ高所だからといって風が吹くわけではない。山中のこの場所が風の吹き抜ける特別な立地となっていて、そしてそれゆえここが風神の鎮座地に選ばれたのだろう。 東風谷早苗がせっせと境内の掃除をしているのが見えた。今日、アルバイトは非番なのか、それとも午後からなのだろうか。普通ならば高校生として勉学や遊びにいそしむ年代であるのに、それらを捨て、自らのすべてを神社の維持に捧げなくてはならないというのは、どのような心境なのだろうか。 私が参道を歩いて行くと、早苗もこちらに気づき、 「おはようございます!」 と挨拶してきた。笑顔の気持ちいい挨拶だ。 「おはよう。朝からご苦労さま」 私が挨拶を返すと、早苗はにこりとして、 「それがお勤めですから」 と言った。そこに迷いのようなものは一切なかった。 心から神様を信じているのです、と彼女について神野は言っていた。その通りなのだろう。 「今日は何の御用ですか?」 と早苗が尋ねてきた。 「ああ、参拝にね」 私は微笑んで答えた。「あと、発掘はこちらの方には来ない。神野さんと話し合って、神社より遠いところを掘ることにした」 「本当ですか」 早苗はほっとしたように言い、 「ありがとうございます!」 と丁寧に腰を折ってお辞儀した。その綺麗な所作は、さすがに神職だった。 「今日は休みなのかい」 と訊くと、 「はい。なので、今日は境内の掃除を」 とこともなげに答える。 「少しは休んだ方がいいんじゃないかね」 と言うと、 「いえ、楽しいですよ。神様が喜んでくださいますので」 と微笑んで言った。 (若いのに、神職の鑑だな) 私は感心して、 「時間があれば、今回の予定変更について説明したい。あと、わかることがあれば訊きたいのだが、いいかな」 と訊いてみると、彼女はきょとんとして、 「はあ、私でわかることでしたら・・・」 と言った。 (つづく) |