その少女は小柄で、紫の上衣とスカートを着け、長い靴下をはいていた。頭には、その頂にふたつの目玉が付いたような奇妙な帽子を被っている。金色に輝く髪を垂らし、愛らしい表情に小さく笑みをたたえているが、しかし彼女に見つめられると凄まじい恐怖が襲いかかってくる。 私ははじかれたように立ち上がった。その勢いで椅子が倒れる。 「君は・・・」 と言おうとしたが、声が出てこなかった。 「こんばんは、“先生”」 少女がにこりと笑い、かすかに首をかしげた。可愛い仕草だが、私には彼女が少し動くだけでも「殺されるのではないか」という恐怖で身がすくみ上がった。それほどまでに彼女の威圧感は圧倒的だった。 「私が見えるのね。並の人間なのに・・・そういう血を引いているのかしら。それとも、“常世”を垣間見たことがあるとか・・・」 彼女は長いもみあげの髪を纏めている耳元の赤い紐を指で弄りながら言った。 「それに、気を失わないのもたいしたもの」 「こういう経験は・・・たまにあるのでね」 やっとの思いで喉から声を絞り出す。 「ふふ・・・でしょうね」 少女はちらりと笑うと、ふっと体の力を抜いたように肩を少しく落とした。同時に、彼女の全身から発せられていた威圧感がいくぶん緩む。 少女は机の上の資料を覗き込んで、 「勉強熱心なのね」 と言い、こちらを見上げて、 「で、何を知ろうとしているのかしら」 と訊いてきた。 彼女からの威圧感がやや緩んだことで、私にも喋るだけの心の余裕はできた。 「守矢神社の歴史を・・・」 ただし、言葉を選びながら言う。 「・・・この国(信濃)の祭祀と信仰の源流を」 少女は腕を組んで言った。 「そんなに昔のことが知りたいの?どうして?」 「私達は・・・どこから来たのか知らないまま目覚め、先人からバトンを渡された。私達は一体どこへ行けばいいのか、そして何を拠り所にすればいいのかわからないままに・・・それを知るには、自分が何者であるのか、どこから来たのかを知らねばならない。それがわかれば、どこへ進めばいいのか、道筋をつけることができる。だから、私達は過去を探求する・・・」 少女はくすりと笑って言った。 「ふふ、それを探している間にも、バトンを持って歩いてゆかなければならないんじゃないの?後ろ向きで歩いてたらとんでもないことになるよ」 「それは、それを仕事とする人間に任せる。私はこういうことにしか能がなくてね・・・後ろを探りながら、時折振り向いて行く道を示すことができればいい」 「そう」 少女はにやりとして、「それらしい理屈をつけるのね。言葉を選んでいるのかしら?」 「むっ・・・」 私が口ごもると、少女はくすくすと笑った。 「それも理由でしょうけど、もっと正直に言っていいのよ。『こういうことが大好きだ』って。そうなんでしょう?」 私は口をへの字にして、 「その通りだ・・・」 と言った。彼女には虚飾やごまかしは通用しないようだ。 「あはははっ、よろしい。人ってそーいうものだからね」 少女はけらけらと笑った。とたんに、周囲の張り詰めた雰囲気が和やかになる。 少女は資料の一つを手に取ってぱらぱらとめくり、こちらを見て、 「今は神社についてどういう見解なのかしら、先生?」 と訊いてきた。 この空気なら、気兼ねなく話せそうだ。 「守矢神社は、諏訪の信仰の源流であるとみている」 「へえ」 「当社の信仰形態は諏訪大社のそれとほぼ同じだが、史料によれば、いわゆる神仏習合の行事がほとんどみられない。宗門人別改が行われていた江戸時代でもそうだ。これは、この地が外的な影響をあまり受けない地理にあっただけでなく、古い信仰を忠実に守っていたということだ。それに・・・」 「それに?」 「この度発掘された御柱は、湖岸とみられるところにあった。廃棄されたものかと思ったが、そこは神社の正面に当たる。そこにあのような巨大なものを廃棄するのはおかしい。あれはあの場所に立っており、それが倒れた後、何らかの理由で再建されずそのままになったのではないか、とも考えられる」 「どういうことになるのかしら?」 「諏訪湖では、冬に凍結した湖面が割れる現象を『御神渡り』という。諏訪の神は湖を渡られるのだ。つまり湖は神の通り道であり・・・あの御柱は何組も湖の中に立っており、神の通り道を示していたのではないかとも考えられる。そのような施設は、諏訪湖にはない。もちろん諏訪湖は大きすぎてそのようなものは立てられないが・・・しかし、諏訪大社が先とすると、こちらにそのような物ができるはずはない。先に成立したこちらにはあったが、あちらでは湖が大きすぎて実現できなかった、というのが理屈からいって自然だ」 「おお」 少女は目を丸くして、それからくすりと笑い、 「さすが先生、大胆な事を思いつくのね」 と言った。 私は首を振って、 「まだ、思いつきに過ぎない。それに相当する他の柱が発掘されなければ、ただの胡乱な説だ」 「掘ってみたい?」 少女は見上げるような視線を向けながら言った。 「神社のあの子が許せばね」 と私が言うと、少女は笑って、 「池の方なら、今さら境内だと思っていないから大丈夫だって」 と言い、くるりとこちらに背を向けた。そして、 「わかったわ。物見遊山や軽々しい好奇心で来ているのではないのね・・・でも」 そのまま言葉を続ける。 「歴史は後々の人間が他人事で調べて編むものだけど、当事者にとっては他人に触れられたくないこと、秘めておきたいこともたくさんあるのよ。あそこは特に・・・・・・だから、教えたくないことは教えない。それに、歴史を知ることがかならずしも未来への道しるべとなるわけではない。時には過去を振り切って前へ踏み出すことも必要なのだから・・・・・・」 「あなたはいったい・・・」 「ただのおせっかい焼きの隠居よ」 少女は右手をひらひらとさせて、 「みんなは治しておくわ。朝にはけろりとしているでしょう。神社から離れた所を掘る分なら、何もしない。ただし、掘ってはならない所を掘ったら・・・」 ちらっと振り返って、 「祟るわよ」 にいっと笑った。 私はびくっとして後ずさる。そのはずみに机にぶつかってしまい、書類がばさばさと床に落ちた、と思うや、 「はっ・・・!?」 目が覚めた。私は机の上に突っ伏して寝ていたのだ。 驚いて周囲を見回したが、誰の姿も、何の気配もなかった。ただ、自分が落としてしまった書類が床に落ちているだけだった。 (今のは・・・神社でちらりと見た・・・?いったい何者だ?) そう思ったのもつかの間、私は今の夢の内容に愕然とした。 (“この度発掘された御柱”“あれはあの場所に立っており、それが倒れた後、何らかの理由で再建されずそのままになったのではないか”!?) (“あの柱は何組も湖の中に立っており、神の通り道を示していた”!?) (“先に成立したこちらにはあったが、あちらでは湖が大きすぎて実現できなかった”!?) 「私は何を言っていたんだ!!」 そのような考えはなかった。あの御柱が参道を形成するように神社から湖を縦断して何組も立っていたというのか?そのような事が可能なのか?それよりも、自分でも思ってもみなかった事をどうして夢に見たのか?いや、あの遺跡を見た時に心にかすかに引っかかるものはあったのだが・・・ 「まさか、あの少女が・・・」 彼女が、いわゆる“霊夢”を見せたというのか。 考古学上の重大発見に際して夢に指針を受けたというエピソードはよく聞かれるところだ。 私はすぐに公図を広げた。 神社の前から池にいたるまでの地は開墾されて田地になっていたが、不思議な事に、神社正面直線上の土地はまるで参道のように一直線に開墾されず池に突き当たっており、里道扱いになっていた。そして、池の反対側もまた、参道のように田地が神社正面を避けて作られていた。畦道にしては不自然に広い間隔だ。 「これは・・・」 (なぜ開墾しなかったのか?神社正面だったからか。ではなぜ池の反対側もそうなっているのか?それに、なぜこの幅なのか?) 今回の御柱出土場所を思い出す。ほぼ同じ間隔だ。 (池中に御柱を立てることについては古文書にみえない。その頃には廃絶していたのだろう。となると、江戸時代の開墾時にも今回のように御柱が出土して、その間隔内を開墾することを恐れたのではないか?秘密の開墾であり、畏れ多い事であったので、誰も文書に残さず、言い伝えもしなかったのだ。となると、この区域内を掘ればもっと御柱が出土するのではないか?) もしそれらが発見されれば、その特異な形態はこの地の考古学的重要性をさらに高めるだろう。神社境内を掘らずとも、破格の成果を挙げることができる。 今回の発掘範囲を確認する。現在は神社に近い所を掘っているが、この参道らしきところをもう少し池の方まで掘ることが可能だ。だが、その辺りは近世までは池の中と神野が判断したため、未着手となっている。 「この範囲内で、もう一組御柱が出土すれば・・・」 私は肯いた。明朝、神野に相談してみよう。守矢神社のあの子や氏子たちも、これなら文句は言うまい。 (しかし、あの少女はいったい・・・) (つづく) |