妖怪ハンター〜土着信仰


 

 錯乱状態になってしまった女性をプレハブの事務所で安静にさせると、私と神野、江坂の三人は守矢神社へと向かった。
 「風祝の子は学校に行っていないということでしたが、働いているのですか?」
 と私が訊くと、
 「はい。隣町へアルバイトに行っているようです」
 と神野。
 「原チャ持ってますからちょっとは楽でしょうけどね」
 と江坂が言う。「今日は出て行くところ見ませんでしたから、いると思いますよ」
発掘現場から車の来た道に戻ると駅とは逆の方向にもう少し進み、山へ続く小路へと入ってゆく。
これが守矢神社へ続く参道で、両側に杉の木が建つ並木道になっていた。参道の両側には田畑が広がり、民家も何軒か見える。ここの田畑はきちんと耕作されており、畑には季節の野菜が育ち、田では植えられたばかりの稲が小さく風に揺れていた。
 並木道の杉の樹の下に、山のほうを見つめている一人の老人がいた。
 「こんにちは」
 神野が挨拶すると、老人はこちらを振り向き、
 「こんにちは」
 と挨拶を返した。「また山を掘りに来たんかね」
 「いえ、ちょっとお話をしに」
 神野はにこりと笑って、「風祝さんはいらっしゃいますか」
 「ああ。でもあんまり風祝様を困らせんでほしい」
 老人は眉をひそめて言った。「山が呻いておる」
 「わかっています」
 老人と別れ、また参道を歩く。
 山の登り口に鳥居があり、そこからは鎮守の森になっていた。
 上のほうからごうごうという風と木々の音が聞こえてくる。
 「ここは風がないのに、上のほうは吹いているのだろうか」
 と私が言うと、
 「不思議なのですが、最近はいつも社殿の辺りで風が吹いているのです」
 と神野が答えた。「風神を祀っているからというわけでもないでしょうが・・・」
 「平地ではそよ風でも、高いところでは強風というのは珍しいことじゃないでしょう」
 と江坂。「早く登りましょう」
 石段を登り、小高い丘まで来るとまた参道は平坦になる。
 その向こうに古びた社殿と、その脇にある社務所が見えた。
 丘の上はごうごうと風が吹き渡り、古い巨木がざわざわと音を立てている。
 それは、まるで何か大いなるものが懊悩しているかのようだった。
 その時、私は視界の端に誰かがいるのに気づいた。
 少女だった。参道の木々の間、暗がりの中に立っている。頭に妙な形の帽子を被り、はっきりとはわからないが暗い色の衣を着ており、こちらをじいっと見つめている。その視線には敵意のようなものがあり、背筋がぞくりとした。
 だがそちらに顔を向けると、もうその少女の姿はなかった。
 「どうしました?」
 と江坂が訊いてくる。
 「あちらに女の子が立っていたような気がしてね」
 私がその方を指すと、
 「こちらにいるのは風祝だけですから、彼女でしょう」
 江坂がそちらのほうに歩いていった。「呼んできます」
 「風祝の子はこう・・・頭に帽子を被っているんですか」
 私が神野に尋ねると、神野は首をかしげて、
 「いいえ、なぜ?」
 「今見た女の子、頭に帽子を・・・」
 「ぎゃああああ!」
 その時、江坂の悲鳴が聞こえた。
 急いで駆けつけると、参道から森へ5メートルほど入ったところで江坂が仰向けにひっくり返っていた。
 「江坂くん!」
 神野が慌てて江坂を抱き起こす。「どうした!しっかりしろ!」
 しかし江坂は視線が定まらず、脂汗を流しながら痙攣を続けている。危険な状態だった。
 「早く病院へ!」
 私が言うと、神野は、
 「ここには病院がありません・・・隣町へ行かなければ・・・間に合うでしょうか」
 と言いながら江坂を抱き上げる。その時、
 「どうしました!ものすごい悲鳴が聞こえましたが・・・!」
 背後から少女の頓狂な大声が聞こえた。
 振り向くと、白衣に青い袴を着けた神職姿の少女が立っていた。
 「ああ、風祝さんか!」
 江坂が振り返って声を上げる。「この子が急に倒れてね、救急車を呼んでもらえんか!」
 「そ、それは大変です!」
 少女は駆け寄って江坂の顔を覗き込む。そして、
 「ちょっと、私に・・・」
 と言うと、江坂の胸の上に手を当て、目を閉じると、口の中で何かを唱えながらゆっくりと撫で回し、その後にさっさっと何かを払い落とすような仕草をした。
 とたんに、江坂の痙攣が止み、呼吸が落ち着いてきた。
 「ふう」
 少女は一息つくと、袖からハンカチを取り出して額の汗をぬぐい、
 「これで大丈夫ですよ」
 と微笑んだ。
 「・・・・・」
 私達はしばしぽかんとしていたが、気を取り直すと少女にお礼を言った。
 少女は、
 「少し社務所で横にして目が覚めるのを待ったほうがいいでしょう。どうぞ。お話がおありなのでしょうし」
 と言い、参道のほうへ戻っていった。
 「あれがこの神社の風祝、東風谷早苗さんです」
 神野がその後に続きながら言った。「いや、驚きました・・・さあ、行きましょう」
 「・・・・・・」
 私は歩き出す前に森の奥のほうに目をやった。先ほどの少女はいったい誰だったのだろう。そして、江坂の身に何が起こったのだろうか。周囲の木々はなおもざわざわと激しく声を上げていた。


 安静にはなったが意識はまだ戻らない江坂を布団に寝かせると、私達は風祝の少女、東風谷早苗と対面した。
 彼女は、佇まいは清楚ではあるが目鼻立ちがはっきりしていて利発そうな表情、神職ではあるがいかにも現代風の少女という感じである。セミロングの髪を結わずに後ろに垂らし、左のもみあげから垂らしている髪のみまとめてその先に曲がりくねる蛇のアクセサリーをつけている。また、頭の左側には蛙の頭部を模したアクセサリーをつけていた。以前来たときにまだ幼少の彼女と会っているが、その時とはずいぶん印象が変わっている。
 早苗が私達にお茶を勧め、落ち着いたところで、改めて神野が私の紹介をする。
 「以前お会いしたことがあるのですね・・・」
 早苗はこちらをまじまじと見つめて、くすりと笑った。
 「はい、思い出しました。ジュリーに似た人が来た、って覚えてます」
 「ジュリー・・・まあ最近はあまり言われなくなったけどね」
 私が苦笑すると、神野も思わず笑った。
 「ははは・・・おっと失礼。今日は、先生が久しぶりに神社へ行きたいと仰られたので、お連れしたのですよ」
 「そうでしたか」
 「今日、先生に発掘現場を見ていただいたのですが、古代の祭祀に用いられた御柱や土器を湖に廃棄したところであろうとのことでした。昔はあの場所まで湖がきていたようです。そして、昔はこの地方でも諏訪の御柱祭にも劣らぬ大掛かりな御柱祭が行われていた、ということが立証できそうなのです」
 「そうなのですか」
 早苗は目を見張ったが、どこかポーズだけといった風だった。
 「もちろん、大木があったからといってそれが祭祀に使われたということには直接はつながりません。この神社は昔から位置が動いていないと思われます。なのでこの境内から祭祀遺跡が見つかれば、歴史を書き換える大発見につながる可能性が高くなったのですよ」
 「ですが・・・」
 神野の言葉に、早苗は口をつぐんだ。
 「僕達の仕事はね」
 そこへ私が口を出した。
 「僕達の仕事は古代を探求し、この日本に住む人々の源流を明らかにすることだ。私達がどこから来たのか、私達の思想や行動の根本には何があるのか・・・それを知ることで、私達は自分達が何者であり、何を拠り所にしてどう歩まねばならないかを知ることができるんだ。この神社は、そのための重要な地だと思われる。だから、神野さんはこれほどお願いしているんだ。決して面白半分に神社を掘り返そうとしているわけじゃない」
 早苗はそれを聞くとうなだれてしまった。
 「わかります・・・それはよくわかります・・・でも・・・」
しかし、しばらくして顔を上げ、こちらをまっすぐ見つめながら、
 「でも、ここは、神の社です。昔より今に至るまで、この地の人々が心を込めて斎(いつ)き祀る大神様の鎮まり坐す処です。私が発掘を認めるならば、私は信ずる神様を疑っていることになります。いったいこの神社に伝わっていることは本当なのだろうか?信じられないから発掘して確かめてみよう、と。ですから、それはできません。本当に申し訳ありませんが」
 と、きっぱりと言った。

 私達は、守矢神社を後にした。
 「芯の強い子ですね」
 と私が神野に言うと、まだ意識が朦朧としている江坂をおぶった神野は、
 「ええ・・・現代っ子なのですが、こと神社のこととなると本当に・・・心から神様を信じているのです」
 とため息をついた。
 「これでは、現時点での境内の発掘は無理でしょうね。神社の改築か何かの機会に入らせてもらうことくらいしかできないでしょう」
 私は湖のほうを見て、「あちらの発掘に全力を注ぎましょう。あそこの発掘結果をまとめて提出して、その反響次第で今後どうなるかが・・・」
 その時、再び誰かの視線を感じた。振り返ってみたが、自分達を見送る早苗の姿しか目に入らなかった。


 東風谷早苗は来客を見送ったあと大きくため息をつき、
 「ごめんなさい・・・」
 とつぶやいた。そして社務所へと戻ろうとしたが、ふと足を止めて参道のほうを見る。
 視線の端で誰かが石段を駆け下っていったような気がしたのだ。
 だが、早苗がそちらへ目を向けたときには、もうその姿はなかった。
 (あの姿は・・・)
 彼女は、小さい頃から「その存在」を何度も目にしていたが、それが何なのかわかっていなかった。自らの仕える神とは異なるが、さりとて人間や妖怪の類とも思われない。ただ、神社にとって災いとなる存在ではない、ということだけは感覚でわかっていた。
 早苗はそちらのほうに足を踏み出そうとしたが、ぴくりと動きを止めて社殿のほうを振り向き、
「・・・八坂様」
 とつぶやくと向きを変え、足取り重く社殿のほうに歩いていった。
 風は徐々に鎮まり、彼女が社殿に入るころには、今までの嵐が嘘のように治まっていた。


 発掘現場事務所に戻ってきて江坂を寝かせると、しばらくして彼は意識を取り戻した。
 しかし、彼は神社でのことを覚えていなかった。何があったのか聞き出そうとすると、考え込んだ末に頭を押さえて苦しみ始め、またぐったりとなってしまった。
 「あの江坂くんがああなってしまうとは・・・よほど恐ろしいものでも見たのでしょうか」
 神野が嘆息した。
 「今回はどうも妙なことが起こります・・・」
 「他にも?」
 と私が訊くと、神野はうなずいて、
 「はい。最初のうちはよかったのですが、神社の境内地を発掘したいと申し出てからはいろいろと・・・最初のうちは神社の氏子さんがいたずらしているのかと思いましたが、鍵のかかった倉庫から道具や発掘物が持ち出されて捨てられたり、夜に事務所の周りで光るものが漂っているのを見た者がいたりと・・・守矢の神の祟りだと言い始める者も出てきています」
 「そしてさっきの蛇のようなもの・・・それですが、私も駅でちらりと見ました」
 「先生もですか!」
 「駅舎の中でね。私達は何者かに監視されているのかもしれない」
 「何者かとは・・・」
 「この地方にはミシャグジという古い祟り神についての言い伝えがあるね。その神は蛇のような姿をしているという。柳田國男は、道祖神としてよく見られる“石神(シャクジン)”が語源だろうと言っているが・・・」
「ミシャグジ様ですか!まさか、そんなことが現実に・・・」
 その時、横合いでぱさっと音がした。見ると、一枚の紙が床の上に落ちていた。
 「ん、いつの間に・・・」
 神野がそれを拾おうとしたが、突如凍りついたように動かなくなった。そして、
 「せ、先生・・・」
 と搾り出すような声を上げた。
 見ると、その紙には、

 か え れ

 の三文字が大きく無造作にマジックで書きなぐられていた。
 「さっきまではありませんでした・・・誰が・・・どうやって・・・ここに・・・」
 神野はその紙切れから後ずさり、震えながら椅子に腰掛け、こちらを見上げたが、今度は
 「ひっ!」
 と目をむいた。
 振り返ると、すでに暗くなっている窓の向こうに二つの光るものがあった。それはまるで爛々と光る目のように見えた。
 (ここは二階だ・・・!)
 私は窓に駆け寄り、手を掛けるやがらりと開いた。と同時にその光は消え失せ、窓の外は暗闇となった。
 ただ、ぱたぱたと何かが走り去る足音がかすかに聞こえた。
 私は窓を閉めて施錠し、振り返る。
 神野はがたがた震えながら言った。
 「わ、私達は本当に祟られているのでしょうか・・・」
 私は答えて言った。 
 「祟りならばもっと直接的に災いをもたらすでしょう。ここまでの事は警告のように思えます。これ以上神社に手を出すな・・・と。あの風祝の子の力も常のものとは思われない。あの神社には何かがあるのでしょう。神野さん、あの神社やこの周辺の土地に関する資料はこちらにありますか」
 「は、はい。書物やコピーを一通り持ち込んでいます」
 「見せていただけませんか」
 「どうぞご自由にご覧下さい・・・先生、私達はどうなるのでしょうか」
 「しばらくは発掘を中断したほうがいいかもしれません」

 
 その晩、私は資料を読み漁った。
 社伝によると、創建は景行天皇四十三年で、主祭神は南方刀美大神、八坂刀売神。南方刀美とは諏訪大社の主祭神の古い呼び名である。古くから地元で厚く崇敬されただけでなく、この地方の代々の支配者も社殿を修復したり扶持米を支給したりと手厚く保護していたことが古文書からわかる。
 創建の年は日本武尊の崩年にあたる。この年、尊は東国から信濃を過ぎて尾張を経由、三重まで戻っている。尊は信濃において『日本書紀』では白鹿に化した山神と戦い、『古事記』では「科野之坂神(しなののさかのかみ)」と戦った(白鹿に化した「坂神」とも戦った記事があるが、「足柄の坂本」でのこととなっている)。『書紀』の山神は、信濃の坂を越える者を神気で病み伏せさせたとあり、『記』の記事と対応する。
 記紀では景行天皇の二代前の崇神天皇が各地に国土平定のための軍を派遣しており、また『先代旧事本紀』の「国造本紀」によれば崇神天皇の代に信濃国へ国造(くにのみやつこ)が設置されているので、この時にいったん信濃は征服されたが、なおも従わない勢力があり、景行天皇の代に改めて征伐が行われた、ということだろうか。もちろん記紀の記事を鵜呑みにするわけにはいかないのだが、何らかの歴史的事実を反映しているかもしれない。
 この神社はその再征服時に創建されたという。この地の神が再び蘇って反旗を翻さないようにその押さえとして、あるいはこの地の神を積極的に祀ることによって反乱を防ぐという宥和策として創られたのではないか。
 ここで問題がある。諏訪大社の主祭神で、この神社の祭神でもある「建御名方神」の存在である。
 この神は『古事記』の国譲り神話に出てくる有名な神であるが、『日本書紀』にはまったくその名が見えない。そして『記』においても、かなり詳細に記されている出雲の神々の系譜の中にこの神の名はないのだ。国譲りの場面において、唐突に出てくるのである。
 「タケミナカタ」の名の「ミナカタ」は「水潟」であると一般には解釈される。よってこの神は水神であり、もともと諏訪湖周辺で信仰されていた神が日本神話に組み込まれる過程で、国津神の代表の一柱として大国主命の息子とされたのではないか、というのが現在の定説だ。また、『伊勢国風土記』逸文には、神武天皇東征のとき伊勢国に遣わされた天日別命がその地を支配していた風神・伊勢津彦命から支配権を奪い、伊勢津彦命は信濃に去った、という伝承が記されている。これは国譲り神話に類似しており、こういった神話が改変されて『記』に採用されたのではないか。
 だが、諏訪には出雲を追われた建御名方神がこの地の土着神・洩矢神を征服してこの地に鎮座したという伝説が残っている。この伝説は14世紀に描かれた「諏訪大明神絵詞」に記されている。この伝説は、大祝職の諏訪氏が社家同士の争いの中、自分達の正統性を主張するために作ったものとも考えられる。伊勢神宮でも、外宮の度会氏が伝承を元にいろいろな神話を創作し、食物神である外宮祭神・豊受大神の地位を高めて天照大御神の内宮と張り合ったということがある。ただ、こういう後で作られた話でも、何らかの裏づけがなければ長く後世に残らないものだ。外来の神が土着の神を征服してこの地に居座った、その記憶が諏訪の民の根底にあったのだろう。
 その神は誰か。少々の神であれば歴史ある諏訪の神はそれらの上位に立ち、取り込んでしまっただろう。その権威をも上回る勢力の神でなければならない。となると、それは大和朝廷の神しかありえない。
 いつの話か。信濃国が初めて大和朝廷の支配下に入ったのは崇神天皇の世で、皇族が国造としてやってきたという(『先代旧事本紀』による)。しかし、景行天皇の世に至っても、信濃には道行く人々を苦しめる神がなお存在した。『記』にある「科野之坂」は、下伊那郡阿智村の神坂峠とされているが、これは美濃から(つまり、中央から)信濃へのちょうど国境にあたる。こういうところにまつろわぬ神がいたのだ。これは朝廷に反逆しその勢力を信濃に入れまいとする人々とその神がいたということではないか。そしてそれが日本武尊によって征服された。尊の実在性は疑問視されているが、信濃への度重なる出征、という事実はあったはずだ。そしてその時に、それ以上の反乱を抑えるため、信濃を鎮めるための神が大和からやってきた・・・それが守矢神社の創建と関係があるのではないか。
 神坂峠には神坂神社という神社があるが、その主祭神は住吉三神である。奥深い山中に航海の神が祀られているのだ。長野県には穂高神社という海の民・安曇氏が創祀した神社もある。そして、八坂刀売神は天八坂彦命、あるいは海神・大綿津見の姫神ともいわれている。大いなる湖(うみ)のほとりに坐す神に対抗するため、海の民の神々が駆り出されたのだろうか。伊勢から諏訪に移ったという伊勢津彦命は風神であり、諏訪の神も風神である。さらに伊勢津彦命は伊勢を出るときには真夜中の暗闇の中で真昼のように光り輝き、八風を起こして海や陸を揺り動かしながら海を渡って退去したという。これは風神というだけではなく太陽神そして海神の属性も備えていたことを示す。この神は神武天皇によって追われたという伝承となっているが、本来は朝廷の命によって信濃を制した軍勢もしくは一族が奉じていた神ではなかったか?彼らが朝廷の命でそのまま信濃にとどまり、その神の祭祀も伊勢から信濃に移ってしまったため、伊勢では本来の伝承が失われ、風土記にみえるように変質してしまったのではないだろうか。
 だが、この神社の名は守矢神社で、その名が洩矢神に基づくことは明らかだ。外来の神に鎮圧されながらも、その名は残したのか。いや、当初は違う名前だったが、後に改めたというほうが妥当だろう。元々は外来の神の名を冠した神社であったが、それではこの地の民が従わなかったので宥和策をとり、守矢の名に改めたのだ。その成立には征服者と現地の民の間にかなりの複雑な経緯があったのではないか。それでも最後は弾圧ではなく、征服者側が名前を譲るという譲歩により平和的に収められた・・・その間、血なまぐさい事件も起こっただろう。神社が争いの場になったことがあるかもしれない。あの子が神社の発掘をかたくなに拒むのも、そういう古の悲しい記憶を受け継いでいるからではないだろうか・・・

その時、背後で誰かの気配がした。
「神野さん?」
振り向くと、そこにはあの、奇妙な帽子を被った少女がいた。
その姿を見たとたん、私の全身から脂汗が噴き出した。


(つづく)
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