妖怪ハンター〜土着信仰


 

  
 「探女」とは、「光の木真理教団」の教祖であり、「生命の木」の力で不死の力を得ようとしていた女である。
 彼女は富士山麓、青木ヶ原樹海の地下深くにある溶岩樹形、太古の「生命の木」の胎内にあった生命の木の「種子」を美加の力を借りて発芽させ、その力によって不老不死となろうとした。しかしその時、美加の兄の薫がその種子を矢で射たために種子の力が暴発し、彼女はその膨大な力をまともに浴びて体の形を保つことができなくなり、不定形の体となって地底をさまよった。そして溶岩樹形の出口であった枯野村のストーンサークルの力場において復活しようとしたが、美加と探女より一足早く復活した薫の二人の力で打ち砕かれたのだった。それがまだ生きていたというのか。
 「たぶん、肉体は打ち砕かれても魂は死なず、誰かの人の心の中に入って生き続けていたんだわ。そして、復活の機会を今なお待ち続けていた・・・私がここに来ようという気になったのも、この事を感じていたから?それとも、逆に彼女に引き寄せられて・・・?」
 「では、今の教祖に取り憑いて・・・」
 「だと思います」
 「となると、彼女の目的はやはり“生命の木”による復活・・・!」
 「飯島という人について調べ上げて、このことを嗅ぎつけたんでしょう」
 美加は早苗の方を向いて、
 「神社が危ないわ。すぐに戻りましょう」
 と言った。
 早苗も、よく事情が呑み込めないながらも事態が急であることを察してうなずく。
 二人は事務所を飛び出していった。
 私も後を追おうとしたが、 その時、
 「先生!」
 神野が木箱を持って駆け込んできた。
 「どうしました」
 私が訊くと、神野は木箱の中を私に見せた。
 「薙鎌です!」
 そこには、諏訪大社でよく知られるところの「薙鎌」によく似た物が入っていた。
 「おそらくは御柱に刺さっていたものと思われます!これが見つかったとなると、きっと今の場所に御柱が・・・!」
 「神野さん!すまない、ちょっと借りるよ!」
 私はその薙鎌を有無を言わせずひったくると、二人の後を追った。


 守矢神社の上には雲が渦巻き、神域には初夏とは思えない肌寒い風が吹いていた。
 探女ならば、狙うのはただ「生命の木」、あの場所以外ありえない。私は美加と早苗の後を追って走った。
 と、前方に十数人の人間が群れているのが見えた。二人はそれに通せんぼされている。新興宗教の信者だろう。
 私は薙鎌を振りかぶると、その群れの上方に向かって投げつけた。
 バチバチバチ!
 電気がスパークするような音が辺りに響き、「人間」たちはそれに弾かれるように吹き飛ばされると、気を失って倒れた。
 「大丈夫か!」
 私が駆けつけると、早苗が薙鎌を見下ろして、
 「これは薙鎌・・・こんなもの、どこで・・・」
 「たった今、発掘された上古の薙鎌だ。神威も半端じゃなかったな。この人たちは人間のようだ。ただ操られていただけだ」
 私は息を切らしながら薙鎌を拾い上げ、言った。「さあ、早くあの場所へ急ぐんだ」
 「はい!」
 二人が走ってゆく。私は少し休もうとしたが、
 “大の男が女の子を先に行かせるとは何事かー!”
 と、肩に蛙が止まった。
 「ちょっ、今は・・・!」
 “問答無用!”
 私はまた蛙に引きずられ、二人の後を追いかけることになった。
 「君ひとりで行けばいいんじゃないのか!」
 “今は昔と違って、人間を介さなければああいう力が出せないの!びっくりさせるだけならともかくね!つべこべ言わずに走れ!”

 


 ガサガサガサ!!
 美加と早苗が屋敷跡に駆け付けた時、茂みの所であの藁の大蛇が土蜘蛛どもと激しく戦っていた。
 土蜘蛛は四体いて、何れも六本脚。怪物として生まれたものだ。藁の大蛇の体に取りつき、それを引き裂こうとしている。
 「あれは・・・!」
 「あれが土蜘蛛よ」
 美加は辺りを見回した。「探女は・・・」
 彼女の気配が強く感じられる。この場所にいる。しかし見えない。
 ガサガサッ!!
 一体の土蜘蛛が大蛇に呑まれた。そして、二体目の土蜘蛛が大蛇に咥え上げられる。その時、
 ボッ・・・!
 大蛇の胴が火を噴いた。そしてめらめらと燃え始める。
 (さっきの土蜘蛛が自爆した・・・!)
 おそらく、発火物を体内に仕込んでいたのだろう。いくら怪物であるとはいえ、手段を択ばないやり方だ。
 ガサガサガサ・・・!
 大蛇の胴が燃え上がり、その巨体を支えきれなくなる。そしてついに、どさっと上体が地上に落ちた。しかし、その口は土蜘蛛を放さない。
 “ギィエエエエエ・・・!”
 その土蜘蛛は焼ける大蛇の炎に包まれ、体内に引火して爆発した。
 “ギャアアア・・・!”
 残った二体の土蜘蛛は大蛇から離れようとしたが、燃え盛る大蛇の胴体がなお生きているように大きくしなり、それらを絡め捕った。
 “ギッ・・・!”
 その二体も体内に引火して爆発する。それとともに大蛇の胴も焼け崩れた。
 早苗はその光景に半ば呆然としていたが、その影から音もなくなにかが立ち上がった。
 「えっ!?」
 「探女!」
 美加がその影をきっと睨みつける。するとその影はぎゅんと渦を巻き、中空にとどまった。
 “天木美加!よく気づいたね!”
 その影が恐ろしい声で怒鳴りつける。
 「これが・・・探女・・・?」
 早苗が身構える。
 探女はにやりと笑って、
 “しかし、今は「若彦」がいないねえ・・・おまえ一人であたしをどうにかできると思っているのかい?もっとも、そうなるようにあたしがお前を呼んだのさ”
 若彦とは、美加の兄・天木薫のことだ。彼女は薫のことを国譲り神話における天若彦になぞらえて呼んでいる。
 「早苗さんがいるわ」
 と美加は言った。
 “太古の血の末流・・・おまえたち二人の命があれば、生命の木も再び花を咲かせるだろうさ。そうすれば、再びあたしは・・・!”
 「そうはさせない・・・!」
 美加は探女を睨みつけた。同時に探女の影が吹き飛ぶ。
 “あはははは!実体のないあたしにそんなものが効くと思うのかい!”
 探女は吹き飛ばされた勢いのまま井戸の上まで来ると、ぴたりと止まった。大蛇は、この井戸を守っていたらしい。
 “この中に、生命の木が・・・!”
 「やめて!」
 そこへ、早苗が血相を変えて駆けて行った。
 「さ、早苗さん!?」
 美加は仰天した。「迂闊に近づいては・・・!」
 “あはははは!”
 探女は高笑いして、“必ず動転して飛び込んでくると思っていたよ!”
 そして身を翻して早苗に襲いかかると、
 「か・・・っ・・・・・!」
 早苗の体に入り込んだ。
 「早苗さん!!」
 美加が叫ぶ。
 “正気を失った人間の中に入るなどたやすい事・・・”
 早苗が、探女の言葉を口走っている。“この体、もらった・・・・・・”
 「探女・・・!」
 “抵抗すれば、この女の体を引き裂いて殺す”
 「しまった・・・!」
 私はその時ようやく駆けつけ、事態を悟った。
 「先生・・・!早苗さんが!」
 “お前もいたのか・・・・・・”
 早苗、いや探女は私を睨みつけた。
 バチッ!!
 同時に私の前で何かがはじける。
 「!?」
 私は驚くと同時に、探女が私に攻撃を仕掛けたことと、それが防がれた事を理解した。
 “なにっ・・・!?”
 探女が驚く。“あたしの攻撃が・・・!”
 「先生!」
 「これは・・・」
 “私にあんなちんけな攻撃が効くものか”
 蛙が私の頭の中に囁いた。“しかし、早苗の体が乗っ取られてしまったのは痛い・・・どうしようか・・・”
 「うむ・・・」
 私は右手の薙鎌を持ち上げた。
 “それが私の力を防いだのか!”
 探女がわめく。実際はそうではないが、この状況下ではそう考えても仕方がない。
 “それを捨てろ!”
 探女は恫喝してきた。“さもなければ、この娘を殺す”
 「その子を殺せば、おまえの願いも果たせなくなるのだろう」
 私は探女にむかって言い放った。「できないことで人を脅しても無駄だ」
 “ではこの娘を助けてみよ!”
 探女が美加に向かって跳びかかる。
 「早苗さん!」 
 美加は早苗の名を呼んで飛びのいた。「目を覚まして!心を強く持って・・・そいつに負けちゃだめ!」
 “無駄だ!この体はあたしが乗っ取った!”
 探女が美加の体をつかみ、大きく振り回して井戸の方に投げ飛ばした。
 「きゃあっ!」
 美加は二、三度転がって井戸の縁に叩きつけられる。
 「美加くん!」
 “動くな!”
 私が動こうとするのを探女はそう怒鳴って制し、ぎゅんと宙を舞って美加の側に立った。そして、美加の胸ぐらをつかんで持ち上げる。
 “これで二人、手に入った・・・ようやく、あたしは復活できる・・・!”
 探女は夢見るような表情になった。
 その時、井戸がゴボゴボと音を立てた。地鳴りのような音が聞こえてくる。
 “!?”
 そして次の瞬間、井戸が間欠泉のように激しく水を噴き出した。
 「な・・・!」
 “なんだと・・・!?”
 探女が呆然とそれを見た、その水柱の中に、何かの影があった。人の、それも女性の・・・
 「おかあ・・・さん・・・」
 その時、早苗が口を動かした。探女のではない、早苗自身の声だ。
 「お母さん!」
 「早苗さん・・・!なんですって!?」
 美加は喜びの声と困惑の声を続けざまに上げた。
 “あ・・・・あああああああ!”
 その時、探女の声が絶叫する。
 “あ・・・・・・熱い!燃える!何だ、この血は!”
 それを打ち消すように、早苗が叫んだ。
 「出て行きなさい・・・この悪霊!」
 同時にその体から黒い影が揺らぎ出てくる、美加は手を伸ばしてそれを掴むと、早苗の体から引きずり出して後方へ投げ飛ばした。そこへ私がすかさず薙鎌を投げつける。
 バチイッ!
 “ぎゃあああああ!”
 探女の影が地上に落ち、のた打ち回った。
 “今のは私のコントロールだからね〜♪”
 蛙が楽しそうに言った。
 「風祝様」
 その時、いつの間にやって来たのだろう、早苗の前に佐兵衛と、もう一人の村人が歩み出てひざまづき、それぞれ手にしている物を彼女にうやうやしく捧げた。
 佐兵衛が捧げたのは御幣串だった。それは笏ぐらいの長さで、御幣の白い紙を先に挟み、白木綿を二筋垂らしたものだった。また、もう一人が捧げたのは、五十センチ立方くらいの木箱だった。
 「僭越ながら、神殿よりお持ちいたしました」
 「ありがとう、佐兵衛さん、與兵衛さん」
 早苗は與兵衛と呼んだ老人の捧げる箱を開き、中から美しい円鏡を取り出した。
 (あれは・・・「真澄の鏡」か・・・?)
 早苗はそれを自らの首に懸けた。続いて佐兵衛から御幣串を受け取ると、二人に向かって、
 「長い間のおつとめ、本当にありがとう」
 と言った。
 「かたじけのうございます」
 「わしらは本当ならばもう足腰も立たぬところ、今の今まで御社に、風祝様にお仕えできて本当に幸せでございました」
 二人の老人はそのまま早苗に向けてひれ伏し、拝礼した。
 早苗はその拝礼を受け、御幣串を両手で奉持すると、すうっと胸の前に構えた。そして口中、微音で何かを唱えると、両腕を左右に広げた。
 次の瞬間、円鏡が凄まじい閃光を放って探女を照らした。続いて烈風が巻き起こると、探女の影を巻き込んで縛り上げる。
 “な・・・なんだってえええええ!”
 探女は絶叫した。“う・・・う・・・動けない・・・!”
 早苗は右手に持つ御幣串を頭上にすっと持ち上げると、ぶんと振り下ろす。
 すると天上から凄まじい閃光が稲妻のように落ち降り、探女の影を打ち砕いた。
 “ぎゃああぁぁぁぁ・・・”
 探女の姿が光の中に消えていく。
 光が収まった時、そこには何もなかった。
 「・・・・・・・」
 早苗がふらっとよろめき、そのままその場へ倒れ込む。
 「早苗さん!」
 美加がそれを助け起こしに行った。
 「終わったか・・・それにしても凄い力・・・」
 私がため息をつくと、
 “いんや、まだ”
 と蛙が言った。すると、「彼女」に引っ張られたのか、私の眼は、草叢に逃げ込もうとする小さな黒い影を認めた。
 「探女・・・まだ・・・!」
 “逃がさないよね”
 「当たり前だ」
 “衆議一致、判決死刑”
 同時に、探女の影のかけらの周囲の土がどす黒く変色し、黒い触手がそれを捕まえた。

 ぞぷり。

 “一件落着”
 蛙が私の肩から飛び降り、そのまま見えなくなった。
 (そういえば、あの井戸の影は・・・!)
 私は井戸を見たが、そこにはもう何も見えなかった。
 (あの影は・・・やはり・・・)
 「先生!早苗さんは大丈夫です!」
 美加がほっとしたように声を上げた。
 私はひれ伏したままの佐兵衛と與兵衛の所に行き、
 「佐兵衛さん、終わったよ」
 と声をかけた。
 二人はぴくりとも動かない。
 佐兵衛を抱き起してみると、
 「!!」
 その顔は痩せ衰えて生気を失い、そして、すでに息をしていなかった。
 ただ、その表情は満ち足りた、穏やかな笑みを湛えていた。
 そして、それは與兵衛も同じだった。

 


 村人は、佐兵衛をはじめとしてみな亡くなっていた。この三年の内に、誰もが本来死ぬ運命であったのだ。
 「私たちのしていたことは、社のために氏子さんたちを無理やり生かし続ける、延命治療のようなものだったのでしょうか・・・」
 早苗はうなだれて言った。私たちは守矢神社の神殿に戻っていた。
 「いや、佐兵衛さんの死に顔は満ち足りた、安らかなものだった」
 と私は言った。「老いさらばえ、最後は何もできなくなって死ぬところであったのを、最期まで君に仕えられてよかった、そういう感謝の顔だった。ほかの皆もそうだろう。皆、心の底では感づいていたのだと思う」
 「そうならば・・・いいのですが・・・」
 「この地が台風の被害に遭いながらも、この地を逃げず、社に、君に仕えることを選んだ人たちだ。それを信じたまえ」
 「・・・はい・・・」
 「早苗さん・・・あの井戸の中の影は・・・やはり」
 美加が言った。「早苗さんの・・・」
 「お母さんです・・・」
 早苗はそう言って、顔を手で覆った。
 上木村でも、瓜生織江は天野の死をもって生命の木への道を開き、水の中へ消えた。国生みの大地母神・伊邪那美命も、最後は黄泉津大神となった。中国では、人は死後、地下の泉「黄泉」へ行くとされた。日本でも、人が死後行く世界「ヨミ」をあらわすために「黄泉」という漢語を借りたように、死後の世界は水に囲まれた地であると考えていた。『古事記』では、伊邪那美命は「根之堅州国」にいるともあり、州、つまり水に囲まれた所である。早苗の母は、生命の木の力の維持のために、深い水底に横たわっていたのだ。そしてそれが動いた時、儀式の力は失せてしまったのだ。
 藁の大蛇に呑まれた飯島がここから遠く離れた水路にあらわれたのも、井戸の底の地下水がそちらに通じていたためだろう。
 「君は、その井戸の中に母親がいることを知っていたから、探女がそちらへ向かった時に動転してしまい、その隙を彼女に付け込まれた。しかし、それは肉親の情があれば当然の事だ」
 「あれは・・・まるで早苗さんを助けるために出てきたようだった」
 と美加は言った。
 (出て行きなさい・・・この悪霊!)
 とあの時早苗は叫んだ。しかし今思うと、それは早苗の声にしてはやや低く、また彼女の口調ではなかったようにも感じられる。あの時、早苗の体に母親の霊が乗り移っていたのだろうか。それは早苗にしかわからないだろう。あるいは、彼女にもわからないかもしれない。
 やがて早苗が顔を上げた時、私は、
 「これから・・・どうするんだい」
 と訊いた。
 「君ひとりでこの社を守っていくのか、それとも・・・」
 「はい・・・」
 早苗はうなずいた。
 「遷座します。神様をこのまま消してしまうわけにはいきません」
 遷座といっても、実際には難しい問題だ。神社は伝統的に氏子区域が決まっているので、どこか他所に行って勝手に氏子区域を決めるなどという事はできない。常識的には別の神社と合祀ということになるだろうが、宗教法人登録もなされていない社を合祀しようという神社もなかなか見つからないだろうし、一般の神社が守矢神社の祭祀を受け入れることはできないだろう。もっとも、守矢神社が他社と合祀するとも思えない。新興宗教のように、氏子区域を設定せず不特定多数からの信仰を求めるのがいちばん現実的だろうが、それは守矢神社にはあまりにもふさわしくない。
 「あては・・・あるのかい」
 「はい。八坂様の仰るとおりに」
 「八坂様の?」
 「新しい土地で、新しい方々と、新たな関係を築いて行こうと思います。八坂様も、この地にいらっしゃった時には大変な苦労をなさったそうです。新しい地でもまたいろいろな苦難があるでしょうけど・・・八坂様と共に歩んでいくことに決めました」
 「八坂様とは一体・・・」
 彼女の口ぶりからすると、まるで神社の祭神を指すかのような言い方だ。やはり八坂刀売命のことだろうか。
 「私のお仕えする神様です。厳しくて、怖い方ですけど、とても優しい御方です・・・」
 早苗はにっこりと微笑んだ。そして美加に向かって、
 「美加さん・・・良いお友達になりたかったです。でも、あんなことをしてしまって・・・」
 「それはもういいのよ・・・」
 「ありがとうございます。でも、もうお別れしないといけません」
 「お別れだなんて・・・どこに行ったって、連絡は取り合えるでしょう?」
 「いえ・・・それはできません。できない所なんです。だから、私も今までなかなか踏ん切りがつきませんでした。でも、もう決めました。父と母が、先祖代々が行ってきたことを、私も継がなくてはなりません」
 「いったい、どこへ行くっていうの?」
 「“幻想郷”です」
 「“幻想郷”?」
 「それは・・・いったい」
 私が訊こうとすると、早苗は首を振って、
 「私もよく知りませんが・・・この世とは隔絶したところだそうです。この世で忘れ去られたものが行く世界・・・と」
 「この世で忘れられた・・・?」
 「そんな、私は早苗さんの事は忘れないわ」
 美加が口をとがらせる。早苗は微笑んで、
 「ありがとうございます・・・そう言っていただけると、嬉しいです」
 「幻想郷とは聞いたことがないが・・・」
 私は顔をしかめて、「行くといっても、どういう風に行くんだい」
 早苗は東の方を向いて言った。
 「今夜、八風を起こし、湖水を吹き上げ、波浪に乗って東の方に参ります。ですから、皆さんは安全な所に逃げていてください。あと、くれぐれも私たちの渡御は正視しないでください」
 「冗談とかじゃないのね」
 と美加。
 「はい」
 早苗はうなずいた。
 美加は早苗の手を取った。
 「何か役に立てるかと思ったけど・・・変えられなかったみたいね。それが残念だわ」
 「いえ・・・美加さんには感謝しています。私の心を聞いてくれて・・・あれで気分が楽になりました」
 早苗は美加の手を握り返して、「本当にありがとうございました。美加さんの事は忘れません」
 「私も早苗さんの事は忘れないわ」
 「ありがとうございます」
 早苗は深く頭を下げた。

(つづく)

 

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