妖怪ハンター〜土着信仰


 

  
 その夜、守矢神社の山は火山でもないのに不気味に鳴動し、風が鋭い音を立てて辺りを吹き回っていた。
 そのため、神野をはじめとする発掘作業の面々は私や美加の説得を聞き、北の方の山裾へと避難していた。今朝のこともあり、美加の話には皆よく耳を傾けていた。
 「何が起こるんです・・・?」
 神野が不安げに私に訊いてきた。
 「私にもよくはわかりません・・・」
 私は守矢神社の方を見ながら言った。と、その時、風がいっそう激しくなり、大池の水が月光のもと激しく波打っているのが見えた。いや、月光ではない。辺りが光り輝いている。
 作業員たちが騒ぎ始めた。
 「これは・・・」
 「何の光だ!?」
 「何か・・・聞こえるぞ!?」
 おー   おー・・・・・
   おーおー  おー おー・・・・・
 その時、守矢神社の方から何かの声が聞こえてきた。男たちの声だ。おーおーという、地の底から湧き上がるような声・・・
 (これは・・・警蹕〔けいひつ〕・・・御先払いの声だ。いったい誰の・・・)
 「何の声!?」
 「怖い!怖い!助けてくれ!」
 突如、守矢神社がまぶしい閃光を放った。
 「うわ!」
 「ぎゃあ!」
 その閃光を見てしまった者がひっくり返る。
 辺りは昼のように明るくなっていた。
 「先生・・・!」
 美加が大池を指差した。
 池に、何本もの列柱、そして鳥居が光となって立っていた。南の山も光を発している。振り返ると、北の山も光っていた。
 「これは・・・発光現象!?」
 江坂が辺りを見回しながら、「地震の前兆じゃないか!?」
 と震える声で言った。それと同時に、激しく地面が揺れ始めた。
 「やっぱり、地震だ!」
 江坂がばっと地面に這いつくばる。
 地震の前兆・・・探女との戦いの時、井戸の水が噴き出したのも、あるいはそれだったのだろうか。
 「落ち着け、パニックになるな!はぐれるんじゃない!」
 神野が叫ぶ。
 「これは・・・“四木六石”が光っている!?」
 私は南北の山を見ながら叫んだ。
 「ひいいい!」
 誰かが叫び声を上げてひっくり返った。
 向き直ったところ、私は大池の上に巨大な光球が浮かんでいるのを見た。いや、その中に、巨大な影が見える。人の姿をし、背中には大きな紙垂をいくつも取り付けた巨大な円形の注連縄を付け、胡坐をかいた威厳に満ちた姿・・・そしてその先導として、波濤を左右に分けて水上を歩む早苗の姿が見え、その周囲に、白衣を着た村人たちのぼんやりとした姿があった。警蹕を発していたのは彼ら、正確には彼らの霊だろう。かれらは列柱の間をゆっくりと進んでゆく。
 「早苗くん・・・!」
 「こ・・・この・・・姿・・・!」
 美加がぶるぶる震えだした。「見ては・・・いけない・・・!」
 私ははっとした。
 「これは神の渡御だ!」
 朝、美加は「あれ」が東からやってくるヴィジョンを真正面から見てしまったのだ。
 古来、深夜の神の渡御は決して見てはならないとされる。見れば必ず災いが降りかかるとされ、渡御の途上の家々は堅く門扉を閉じ、外に出ることはもちろん外を覗くこともせず、会話をせず物音も立てず静かに忌み籠って夜を明かしていた。
 「みんな、あれを見るな!目を塞げ!」
 私は怒鳴ったが、その声は辺りを満たす轟音の中で聞こえたかどうかわからない。この状況から逃れようと目と耳を塞いでうずくまった者、気絶して倒れる者・・・視界の端に、パニックに陥って何やらわめきながら逃げ出した者がいるのが見えた。
 風、光と浪はなおも辺りを轟かせている。
 その時、私の脳裏に、伊勢国風土記逸文の一節が思い浮かんだ。

    比及中夜     よなかにいたるころ、
    大風四起     
おほかぜ よもにおこり、
    扇挙波瀾     
なみ うちあふぎ、
    光曜如日     
ひるのごと ひかりかかやき、
    陸国海共朗    
くぬがもうみも ほがらかにして、
    遂乗波而東焉  
つひになみにのりて ひむかしにいにき。
  
    古語に云ふ、神風の伊勢の国は常世の浪の寄する国なりとは、蓋し此の謂なり。

 伊勢の神・伊勢津彦が伊勢を退去して信濃に去る時の描写だ。
 あの光の中の神・・・あれが早苗の言う「八坂様」、おそらく一般に八坂刀売神と呼ばれる神なのだろう。あのような姿を持つ存在だったとは・・・早苗が親しげに、まるで存在するかのように話していたのもむべなるかなだ。
 (しかし、「あの少女は」・・・)
 “やっほー”
 私の頭の中に「あの少女」の声が響いた。そして、脳裏に、あの輝く巨大な姿の背中の注連縄に乗って手を振っている、夢の中で見たあの少女の姿がイメージされた。
 “さようなら、先生。お世話になったわ”
 「君はいったい・・・何者なんだ!?」
 私は叫んでいた。
 “そこの発掘先生と話してたでしょう?ミシャグジがどうこうって”
 「ミシャグジを・・・使役・・・まさか・・・洩矢の神か!」
 “こんな状況でもすぐに出てくるのね。さすがは先生。さてどうでしょう。知りたければ、追ってくる?”
 「追えるのか!」
 “知ってる人がいるかもよ?その人を探してみる事ね”
 「幻想郷を知る者・・・」
 “本当の話、私はこのまま消えてしまうのもいいかなって思っていたのよ。あんな、理に合わないことをするくらいならね。太古の昔から、存在理由がなくなったものは滅び、消え去る定めだから・・・でも、早苗がそう決めたことならば、付きあってあげてもいいかなって・・・”
 「君は、早苗くんとはどういう関係なんだ!」
 “・・・・・・・”
 それ以上は聞こえなかった。
 大きな光の塊は、大池を過ぎって東の峠へと向かっていき、やがて消えた。
 それとともに、辺りは静寂に包まれようとした、次の瞬間、
 ゴゴゴゴゴゴ・・・!
 守矢神社の方から轟音が響いた。見ると、神社の社殿のあった付近が地すべりを起こし、崩れ落ちていた。そして、それは徐々に拡大し、神域一帯に広がって、社殿と、氏子の家々と田畑をくまなく覆い尽くして止んだ。
 誰もかれもが呆然とし、あるいは倒れ伏していた。
 「早苗さん・・・」
 美加が東の峠を見ながら、半ば放心状態でつぶやいていた。
 

 


 地震とそれに伴う大池の決壊、何より守矢神社とその氏子区域の地すべりによる被害で、村は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。当然、発掘も中止となった。作業者の中には、あの混乱の中でパニックになり行方不明になった者もいて、彼等は捜索の結果、残念ながら遺体で発見された。錯乱のための事故死ということだった。
 地すべりの方は自衛隊も出動しての救出作業も試みられたが、一人の遺体も発見されず、やがて捜索は打ち切られた。
 神野は、あの光景を見たことに加えてすべてが埋まってしまったことから、落胆の余りに精神の平衡を失い、現在はカウンセリングを受けている。江坂はあの状況でも他に比べてわりと冷静だったようにとくに何ともなく、(彼は地すべりに巻き込まれたと思っていた)早苗のことをさかんに案じ、惜しんでいた。常識を重んずる実証的な学芸員になることだろう。
 坂崎とはこの件で懇意となり、中部地方の発掘では何かと支援してくれるようになった。
 それからしばらくして、守矢神社の村は駅周辺も風船がしぼむように急速に寂れてしまい、ついに無人となった。そして、駅は廃駅となった。

 
 「八坂刀売神は、海神・大綿津見神の姫神ともいい、あるいは天八坂彦神の姫神ともいう。天八坂彦神は、『先代旧事本紀』によれば、物部氏の祖・饒速日命の大和への降臨に護衛として供奉した神々の一柱だ。つまり、八坂刀売神は大和系の神といえる。天八坂彦神は伊勢神宮の天照大神に神御衣(かんみそ)を織って奉る氏族であった神麻続(かんおみ)氏の祖神とされ、機織の神だ。そして、東海・中部地方には『天白神(てんぱくしん)』という謎の神の信仰が広がっており、柳田國男はこれを風神であると指摘した。近年では、それは『天白羽神(あめのしらはのかみ)』のことであるという説があり、これは『長白羽神(ながしらはのかみ)』のことであって、これも伊勢神麻続氏の祖といわれている」
 ここは自邸。私の話を美加が聞いている。
 美加が質問してきた。
 「つまり・・・伊勢の天八坂彦神、八坂刀売神を奉ずる一族が諏訪に移動したと?しかし天八坂彦神は大和に降ったのでは?」
 「天照大神は最初は皇居に祀られていたが、崇神天皇の時に皇居を出て倭笠縫邑(やまとかさぬひむら)に祀られ、垂仁天皇の時に伊勢に遷座したと『日本書紀』や伊勢神宮の神道書の数々に記されている。その時、彼等も大神とともに大和から伊勢に移ったのだ。大神の神御衣を織る氏族なのだから」
 「なるほど・・・しかし織物の神がそこまで広がるものでしょうか」
 「日本の上古には倭文(しつおり、しどり)という織物があった。それを司る神を倭文神(しどりかみ)といい、建葉槌神(たけはつちのかみ)などの神名を持っているが、『日本書紀』には星の悪神・香香背男(かかせを)を倭文神が征伐したという伝承があるように、織物の神はまた武神でもあった。倭文神を祀る神社は山陰から東海地方に広く分布している。それに、天八坂彦神は饒速日命の護衛として天降った。つまり武神でもあるのだ」
 「八坂刀売神こそが諏訪を制した一族の神であったと?」
 「日本武尊の東征にあたって、尊はまず伊勢神宮に参拝し、おばの倭姫命から草薙剣を受け取っている。この時、八坂刀売神を奉ずる一族も尊に従軍したのではないか。そして、尊が東国から信濃に入って悪神を征伐した時、八坂刀売神とその一族があの地に留まって信濃の鎮めとなり、それが守矢神社の創祀ではなかったかと、私は考えている。東の峠から神社へと神の渡御の道が立てられていたのがその証拠だ」
 「でも、御柱祭祀は諏訪独特のものではないんですか?大和の神を祀る一族は自らの祭祀を棄てたのですか?」
 「皇室の古い祖神とみられるタカミムスヒの神は別名を高木の神という。皇室もまた巨木信仰をもっていた。『日本書紀』の推古天皇紀には、欽明天皇陵にさざれ石を葺いた時、陵の周囲に土を積み上げて山を造り、各氏族にそれぞれ命じて大きな柱を土山の上に建てさせた、とあり、江戸時代の明和八年にそれらしい巨柱が掘り出されている。重要な施設の周囲に大柱を立てる・・・これは諏訪大社と同じ形式だ。それに、奈良の龍田大社の風神二柱は、古くは『天御柱命』『国御柱命』といった。また、記紀には『湯津磐村(ゆついはむら)』という言葉が出てくるが、これは『神聖な石の群れ』という意味だ。大和の民も、石の群れに神性を見出していた。今言った欽明天皇陵の周囲からは『猿石』や『人頭石』という異形の石像群が江戸時代に発見されていて、これももともと欽明天皇陵の周囲に置かれていたと考えられている。諏訪の神祭には、大和の様式も組み込まれているのかもしれない」
 「早苗さんは、その神官の子孫なのでしょうか・・・」
 「そこまではわからない」
 私は首を振り、
 「社号の『守矢』は、諏訪の土着神『洩矢神』のことだろう。あの神社は、祭神と社号が一致していないのだ」
 あの少女の姿を思い浮かべながら言った。
 「私は、大和・伊勢の勢力と土着の勢力の間で融和が行われ、そのようになったのではないかと思う」
 「融和・・・」
 「征服者の神と被征服者の神を奉ずる勢力との争いは、一度や二度の戦いでは収まらなかっただろう。ましてや、あそこは『生命の木』の地だった。多くの血が流れたに違いない。その歴史を終らせるために両者はやがて融和し、それがあの神社の社号にもあらわれているのではないかと思う。だから、あるいは東風谷の血筋は土着のものか、あるいは両者の合わさったものであるかもしれない」
 あの少女は早苗のことを気にかけているようだった。彼女が神であるならば、あるいは早苗の祖先、少なくともその血筋と深い関係があるのかもしれない。
 「早苗さんは・・・どこへ行ったのでしょう。行った先で、うまくやっていけるのでしょうか」
 「行った先がまっさらな土地でない限り、そこには何らかの伝統と信仰があるはずだ。そこへいきなり入っていって信仰を得ることは難しい。弘法大師が高野山の狩場明神や丹生明神から土地を借りて金剛峯寺を開いたように平和裏にゆくのか、『旧約聖書』ヨシュア記の出エジプトを果たしたイスラエル人が、カナンの民を虐殺してその地を得たようになるのか・・・」
 「早苗さんは後のようなことはしません」
 美加は首を振った。「私一人をも殺そうとしなかったんですから。きっと、新しい所でもその地の人々と融和して、うまくやっていけると思います」
 「そうだな・・・」
 「・・・・・・こちらにいるということはできなかったんでしょうか」
 美加がぽつりと言った。「たとえ信仰が失われても、早苗さんだけでもお祭りをしていれば・・・」
 「日本でいう古い形の信仰は、個人のものではなく、小さければ村、大きければ国という共同体単位のものだった。個人の信仰が生まれるのは、仏教が入ってきてからのことだ」
 と私は答えた。
 「神は、初めは人にその存在を知られない。その働きによって人々がその存在を認知すると、彼等に名づけられて信仰され、神となる。人に認知されない時はその力を無制限に振るうが、人の信仰を得ると、その力はある程度限定されるものの、人の崇敬を受け、人に近いものとなる。『ギルガメシュ叙事詩』で、創造の女神アルルによって生み出されたエンキドゥは最初は強大な力を持っていたが、知能を持たず人語を解せず、野の獣と戯れていた。それが神殿娼婦と交わり、ビールを飲むことで、その力は大きく損なわれたが、その代わり知恵が広くなって人の言葉を解するようになり、英雄ギルガメシュの友となった、とあるが、それと似ている。また、神は“祟り”を起こすことでその存在をアピールし、信仰を得ることがある。記紀にみえる三輪山の大物主神伝承はその最たるものだ。その伝承では、大物主神は自らの子孫、大田田根子に自らを祭らせて鎮まった。してみると、神は“自らの子孫である人間に知られたがっている”存在であるともいえる。逆に、人はみな何らかの神の子孫であるとされていることから、人間も“自らの源流である神について知りたがっている”存在なのだ。日本に限らず、世界は神と人との交流によって形成されてきたといえるだろう。今の科学も、自らの源流、つまりこの世界の理を探求することにおいて昔と変わることはない。つまり、神を信仰することも科学を信奉することも、アプローチが異なるだけでその根本は同じなのだ。ただ、多くの人はそれに気づかない。結果、彼等は神との交流を断ってしまった」
 「・・・・・・・」
 「信仰を失った神、人との交流が断たれた神・・・いったん名づけられたものが忘れられる時、その存在はどうなるのか?人は死んでも、その存在が語られるうちは滅びないといえるだろう。しかし、忘れられれば、その人の存在は地上から消え去る。霊魂が不滅であったとしても、その人間としての存在は消滅するのだ。神が忘れられた時・・・つまり信仰されなくなった時、その神もまた消滅するのだろう。あるいは、名づけられなかった以前の無名の存在、いわゆる“五月蠅(さばえ)なす荒ぶる神”に戻るのかもしれない。だが、神に意思があった場合、その神はそれを受け入れるのだろうか?永い時を人とともに過ごした神は、人に忘れられる、消えてしまう事をどう思うのだろうか?」
 (本当の話、私はこのまま消えてしまうのもいいかなって思っていたのよ)
 あの少女の声が思い出された。彼女はあのような延命を望んではおらず、消えてしまう事もやむなしと思っていた。しかし、「八坂様」はその道を選ばなかったのだろう。そして、早苗はその道を選択したのだ。
 美加は部屋の窓を開けた。一陣の風が吹き込んでくる。
 彼女は空高く、風にたなびいて流れる雲を見つめていた。
 私は目を閉じた。
 彼女らは何処へ行ったのか、そしてどうなったのか。私の中で解決していない謎もまだある。それを解明するためにも、私は「幻想郷」を探さねばなるまいと思った。

(終)

 


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