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「・・・・・・!」 美加は目を開いた。 美加は、早苗にぎゅっと抱きしめられていた。美加は藁の大蛇に呑まれる寸前、烈風とともに吹き戻されていたのだ。 早苗はぶるぶると震え、息も呼吸困難と思えるほど乱れていたが、美加を大蛇から隠すように前へ身を入れ替えると、震える声で叫んだ。 「できません!こんなこと・・・・・・やっぱりできません!!」 藁の大蛇は二人を睨みつけた。 “できなければ、村は終わる。この地が観光地になるかどうかはまだわからない。もしなるとしてもまだまだ先の話だ。それまでここの力はとても持続しない。いのちを持続させるには、対価が必要だ” 美加の頭の中に、何かの声が聞こえてきた。先ほども、早苗が何かに伺いを立てているような仕草があった。その声が、早苗に抱きしめられている自分にも聞こえるのだろう。 「だからといって・・・美加さんを犠牲にしてまで・・・・・・私にはできません・・・!」 “我が命(みこと)が聞けぬというか。すべては私が引き受けるというのだ” その言葉に、早苗は歯を食いしばり、毅然と言い放った。 「他の事ならば何でも仰せの通りに致します・・・でも、これだけは!たとえ八坂様の仰せでも聞けません!!」 “・・・・・・・・・・・” 藁の大蛇の口元が緩んだように見えた次の瞬間、大蛇は茂みの中に消えてしまった。 「・・・・・・・」 早苗は肺の中の空気をすべて吐き出すかのように大きく息をつくと、その場にへたり込んだ。 「早苗さん・・・」 美加が声をかけると、早苗ははっとして美加の顔を見た。恐怖の表情に歪んでいる。 「ご・・・ごめんなさい・・・・ごめんなさい・・・!!」 早苗はうわごとのように震える声でつぶやくやぱっと飛びのき、身を翻して茂みの方へと走っていった。 「早苗さん、待って!」 美加は後を追う。 茂みの中には、大きな井戸があった。 早苗は全く走る速度を落とさない。 (まさか、井戸に飛び込むつもり・・・!?) 美加は精神を集中させ、右手をばっと伸ばすや、ぐいっと自らの方に引き戻した。 同時に早苗の体が弾かれたように後ろへのけぞったが、 「くっ・・・!」 早苗は身をひねってそれを振りきり、井戸の端に手をかけた。 (私の力を・・・振り切った!?) 「待って!早苗さん!早まっちゃだめ!」 美加が思い切り叫ぶ、しかし、 「美加さん・・・ごめんなさい・・・!」 早苗は美加を振り返って小さく頭を下げ、井戸を覗き込み、 「おかあ・・・さん・・・!」 とつぶやくと身を乗り出した。 「早苗――!!」 「危ない!!」 その時、私が横合いから飛び出して早苗の肩を掴み、思い切り井戸から引きはがした。 「先生!!」 美加が歓声を上げた。「いいタイミングすぎます!!」 確かにこれ以上ないほどのタイミングだったが、私の体は無茶苦茶な動きの連続でもう壊れる寸前だった。 早苗は気を失っていた。 気づくと、あの蛙はすでに姿を消していた。 |
「この地は、かつて生命の木があった場所だ。おそらく、井戸のある場所がそうだろう」 と私は言った。 早苗は美加の膝枕で寝かされている。私は美加から話を聞き、そこから考えられる事をまとめていた。 「東風谷家はそれを祭り、守ってきた土着の氏族だろう。この山間の小村が、上古、御柱の列柱を建てるほどに強大な勢力を持っていたのは、そのためだ。しかし、その力も使い続けているうちに涸れてしまい、それとともに村は往時の力を失ってしまった。その後、生命の木を活性化させて何度か豊穣を得たことがあったかもしれないが、それは一時的なものだったろう。そして、今回・・・正確には三年前、またその“儀式”が行われたのだ」 「儀式・・・」 「一言で言えば、人柱だ」 「人柱・・・まさか、早苗さんの」 「おそらくは御両親が、その命と引き換えに生命の木を一時的によみがえらせたのだ。風祝を神のように崇める村人がそのようなことを強要するはずがないから、二人の意思だろう」 「そんな・・・」 「記紀神話では、淤能碁呂嶋に降り立った伊邪那岐・伊邪那美二神はその島に天之御柱を立て、互いにその周囲を廻って言挙げし、国生みを行った。君も東北の上木村で見た瓜生織江もそうだ。彼女は、村の神木と伝えられていた幻の木の下で死んだ天野という男の死をもって生命の木への道を開いた。男女が聖なる木を媒介にして生命力を生み出す、そのような儀式だったのだろう。もっとも、風祝とはいえ神ならぬ人の身では、大いなる力を生み出すにはその命を引き換えにしなければならなかったのだ。しかし、それも完全ではなかった。一人ならまだしも、多くの人間を活かすには充分ではなかったのだ。村人は、高齢でなお壮健ではあるが、三年前から時間が止まってしまった。彼らには三年前から今までに至る記憶はない。三年前のその年を延々と繰り返しているのだ。それに神域外から出ると本来の姿に戻ってしまう。佐兵衛さんも、本来はもう足腰が立たず、農作業はできない体のはずだ」 「どうしてそんなことを・・・」 「この地域は、先年の台風で大被害を受け、住人はとめどなく流出して廃村寸前となってしまった。氏子も激減し、残った氏子も高齢であり、このままでは早苗くんが一人前になる前には村は滅び、同時に神社も廃絶してしまう。そうするわけにはいかない・・・そう思った御両親は已むに已まれず、自らの命と引き換えに、氏子たちを、ひいては神社を延命させる手段に出たのだ。せめて、娘が一人前になるまではと・・・」 「そんな・・・そんなことより、両親が生きている事のほうがよっぽど・・・!」 「そうはできないのだ。彼等は神祭りの一族だ。神を祭ることが第一で、その他は二の次だ。順徳天皇が著した『禁秘抄』に、『およそ禁中の作法、神事を先にし他事を後にす。旦暮敬神の叡慮、懈怠なし』とあるが、それと同じだ。神社は、氏子がいなくては維持できない。いくら神職がいても、立派な社殿があろうとも、信仰する者がいなければ廃絶してしまう。彼らは、神社の維持のため、自らの命よりも残された氏子たちの命を優先したのだ。これまでにも目的は違えど何度かそういう儀式が行われたことがあり、その度に人命が犠牲となったので、かつてこの地にあった神殿は死穢を畏れて現在の地に移されたのだろう」 「そこまで・・・そこまでできるものなのですか?」 「それが、我々には想像もできない血と歴史の重みなのだ」 「二人は、早苗さんよりも神社が大事だったんでしょうか・・・」 「そうではない。その二つは密接不可分なのだ。彼等は神社の行く末を案じるとともに、早苗くんの行く末をも心から案じたはずだ。人は、そうするに値するだけの理由がなければ、決して自らの命を捧げることなどできないものだよ」 「そうですね・・・そうだと信じたいです」 美加は早苗を見下ろして、「そんなことがあっても負けずに神社を担っていけるなんて・・・私にはできない。本当に強い子だわ」 と、その美しい髪を撫でた。 「私をここに連れてきたのは、その生命の木を・・・」 「うむ、生命の木の力を得ている君の命をもって、さらに村を延命させようとしたのだ。だがそれは彼女の意思ではあるまい」 「はい。早苗さんはあたしを守ってくれました」 「そう命じた者がいるのだ。ただ、命じた者も本気で命じたわけではあるまい。そうでなければ、あっさり引き下がりはしなかっただろう。それは早苗くんを試し、その意思を尊重したのだ。早苗くんは昨日、発掘とそこから生まれる可能性のある運動に賛同した。しかし、この地が発掘の成果を認められて注目されるかもまだわからない。そうなって観光施設が整備されるとしても、まだまだ先の話だ。生命の木の力は一時的なもので、そう長く持続するものではない。そこまでさらに村を持続させるには、車が給油しなければ動かないように、力・・・つまり人の命を補充しなければならない。君を犠牲にするのは早苗くんの本意ではなかった。しかし早苗くんの決断はとりもなおさず誰かを犠牲にすることを意味したのだ。両親が命をかけてまで自分に託した神社の存続か、人の命か・・・彼女には重すぎる選択だ。できるなら自分の命を捧げたかっただろうが、そうすれば神社はそこで終わってしまう。論外だ。だが、さっきは君に対する罪悪感の余り、衝動的にその行動に出てしまったのだ」 「八坂様、って言ってましたね。先生が会われた神様でしょうか」 「さあ・・・」 違うのだが、彼女については口にしない約束だ。彼女は早苗が加害者となり、美加が被害者となるのを阻止するつもりだった。よって彼女は八坂様ではない。 「八坂様は、だから早苗さんに命じたんでしょうか。そうすることで、早苗さんの罪を自らが引き受けようと・・・」 「どうだろう・・・ともかく、ここの事があるため、早苗くんは神域の発掘をかたくなに拒んでいたのだ」 「では、飯島という人はそれをどうして知っていたのかという事になりますね」 「う・・・ん・・・」 その時、早苗が目を覚ました。 早苗は美加が自分を見下ろしているのに気づき、ぱっと顔を背けた。 「早苗さん」 美加は早苗に静かに声をかけた。早苗はびくっとして、何と言っていいのかわからず口を震わせている。 「ばか・・・どうして井戸に飛び込もうとしたの・・・あなたのために御両親は命をかけたんじゃなかったの?それを無にしてしまっちゃ、だめじゃないの・・・」 早苗の頬に、美加の涙が落ちた。早苗はそれに気づいて美加の顔を見上げ、しばらくして、声を上げて泣き始めた。 私は二人から離れてしばらく立ち尽くしていたが、その時、携帯電話が鳴った。開いてみると、坂崎からだった。 “稗田先生、今よろしいか” 「あいにくちょっと今、外におりまして手が離せないのですが・・・何かわかったのですか」 “飯島くんとはその伯父と懇意にしていてね、それも合わせていろいろ調べさせたり調べてもらったりしたのだが・・・これは大事になるかもしれんのだ。事務所へFAXを送るので、見たら折り返し電話をいただきたい” |
私と美加、そして早苗は発掘事務所へと向かった。 事務所に着くと、 「稗田先生、坂崎先生からFAXが入ってます」 と、十枚弱の用紙をばさっと渡される。 私はそれにざっと目を通すと、すぐに坂崎に電話を入れた。 “おお、稗田先生” 「FAXを拝見しました・・・これは本当ですか」 “ええ・・・なかなか俄かには信じがたい事ですが・・・先生は「光の木真理教団」を御存知ですかな” 「はい・・・昔、教祖の超能力を売り物にしていた新興宗教団体ですね。しかし、教祖が青木が原で行方不明となったため活動を停止し、そのまま解散となったと聞きましたが・・・」 知っているも何も私や美加が直接関わった事件だったが、それを口にすれば話が長くなるのでそれについては黙っておいた。 “ええ。教団丸ごと青木が原で集団自殺を図ったようですな。それで教団は瓦解、不活動宗教団体として裁判所より解散を命じられた。だが、樹海で発見された少数の信者が再び宗教団体を作って細々と活動しているらしいんですな。そして、飯島君は・・・” 「その信者であったと」 “そうらしいんですな・・・飯島君の両親は熱烈な「光の木真理教団」の信奉者で、青木が原にも両親に連れて行かれたそうです。両親は行方不明となり、彼は伯父に引き取られて育てられた。その伯父は私の知人でね、その縁で私も飯島君と親しくしていたのだが・・・それはともかく、その伯父は信者ではないのだが、親が信者だった縁で、飯島君はその教団に引き込まれてしまったらしい。そして、飯島君の母方の家が、これがあの東風谷家の分家筋ということなんですな” 「鮎木・・・」 早苗がFAXを見ながら声を上げた。「昔は東風谷と双璧だったといわれる家です」 鮎木。『万葉集』には、越中国守であった大伴家持が『東の風をあゆのかぜと謂ふ』という方言について記した詞書が記されている。東風の木という意味だろうか。となると、「生命の木」に関わっていた一族かも知れない。 「その縁で、飯島君はこの村について知っていたと・・・」 “かもしれん。今回の発掘も飯島君が特に熱心に推進していた。私の助力も頼んでな。それで私も後押しして実現したのだ。通常なら、もっと優先順位の高い調査もあったのだが・・・何か確信に近いものがあったに違いない。それが何であったかはまだわからんのだが・・・守矢神社の御柱信仰に、「光の木」真理教団の生き残り、その間に何らかの関連があるのではないか?飯島君のルーツがその村にあるとなると・・・” 「それはこちらでも調べています」 “あと、これは私が雇った探偵からの報告なのだが、その新しくできた教団の事務所が、今日、もぬけの殻になっていたという” 「何ですって!」 “信者はたかだか二十人足らずだが、こういう手合いはその気になったら何を仕出かすかわからん。もしかするとそちらに向かったかもしれん。わしも警察に働きかけてみるが、充分に気をつけてくれ” 電話を切ると、私は早苗に訊いた。 「鮎木というのはどういう家なのかね?」 早苗は少し考え込んで、 「よくは知りません。昔は東風谷と双璧だったといわれていたというのは知っていますが、江戸の末ごろから没落して分家筋のようになり、先の大戦後に村を出てしまったそうです」 と言った。 「君の家名の『東風谷』は東風の谷、その家名の『鮎木』は東風の木という意味だろう。となると、鮎木の一族がかつては生命の木の祭祀を掌っていたのではないだろうか」 「そこまではわかりません・・・すみません」 「没落が江戸の末・・・そういえば、その頃にこの地方で地震があって湖が隆起して土地が増え、収穫量が増えたと考えられるのだった。その時に、『生命の木』の活性化が行われ、大地が大きく動いた・・・その時、村人は貧窮にあえいでいたはずだ。それを助けるために『儀式』が行われた・・・それと引き換えに鮎木の一族が没落したとすると、このときの『儀式』で鮎木の祝が多く犠牲になったのかもしれない。この結果、東風谷の一族が神社を祝職を独占することになったのなら、鮎木は東風谷に対して思うところがあったとしても不思議ではないが・・・」 「おかしいわ。村が廃村になろうとしている時に今ごろ意趣返しなんて」 と美加。「明治や大正の頃ならまだしも、今そうしたって、何の得もないのではないですか?遠くから見ているだけで充分なのでは?」 それもそうだ。では、誰が何のために・・・ 私は坂崎からのFAXを見た。現在の団体の責任役員を見ても、過去の事件と関係ありそうな人間はいない。 その時、美加がぴくっと震え、辺りを見回した。 「どうした?」 「この感じ・・・」 美加の表情が険しくなってくる。「間違いない・・・あいつが・・・滅びていなかったのね・・・!」 「どうした、美加くん!あいつとは・・・」 美加は私の方を向いて、言った。 「“探女(さぐめ)”・・・!」 「何だって!!」 私は思わず叫んでいた。 (つづく) |