妖怪ハンター〜土着信仰


 

 
 私と美加は、守矢神社へと向かった。
 参道の並木道を歩いて行ったが、あの佐兵衛老人の姿はなかった。早苗は大丈夫だと言っていたが、まだ外に出るには不安があるのだろうか。
 「どうしたんです?」
 「佐兵衛さんがいない。いつもはここにいるのだが」
 「ああ、先生が話されていたお爺さんですね」
 「まだ体調が悪いようだな」
 美加は辺りを見回し、うーんと唸った。
 「どうした?」
 「どうやらあの“神様”、私には深いところまでは見せたくないようです・・・なんだか、カーテンをかけられたようで」
 「そうなのか」
 私はふうと息をついた。本当に発掘現場でしか自由にさせてもらえないようだ。
 「でも、楽しみです」
 美加はにこりと笑った。「よいお友達になれればいいのですけど」
 「彼女はいい子だ。大丈夫だよ」
 「はい」
 やがて参道の石段も登り終え、社殿の前までやってきた。昨日よりもやや強い風が吹いている。
 「この風・・・なんだか、緊張します・・・」
 と美加が言う。
 私も、何かピリピリした雰囲気を感じた。
 社殿に近づくと、中から早苗が姿を現した。
 彼女はやや疲れた表情だったが、私たちを見ると笑顔になって、
 「おはようございます先生!一昨日は電話で失礼しました」
 ぺこりと一礼した。そして顔を上げると、
 「そちらの方は・・・?」
 と怪訝な顔をする。
 「私の教え子、天木美加くんだ」
 私が紹介すると、美加は丁寧に一礼して、
 「天木美加です。初めまして、早苗さん」
 と挨拶した。
 「こ、東風谷早苗です」
 早苗も慌てて挨拶して、頭を上げると、
 「先生の・・・生徒さん?」
 美加は私をちらりと見て、
 「ええ、そんなものですね」
 「何だ、そうでしたかー」
 早苗は苦笑いして、「てっきり奥様かと」
 「あらあら」
 美加が目を丸くする。
 「そっちかい!」
 私も呆れた。いくらなんでも見た目離れ過ぎだと思うが・・・真面目そうに見えて、結構ずれた娘のようだ。
 「失礼しました・・・」
 早苗は美加を改めて見たが、ぴくっとして視線を止め、まじまじと彼女を見つめた。
 「あなたは・・・」
 美加は微笑んで、
 「わかりますか?」
 と言った。

 


 美加は、自らの生い立ちと能力について、飛行機墜落事故から包み隠さず話した。その事故は早苗の生まれるよりもさらに以前の事であり、早苗もその慰霊行事をニュースで見た程度だった。
 「生命の種子・・・」
 早苗は目を丸くして美加を見つめた。「それで、蘇生して、その・・・力を」
 「ええ」
 美加はうなずいた。
 早苗はまたはっとして、
 「えっ、それだと、えーと今、アラサーですか!?」
 この頃は「アラサー」という言葉が生まれ、流行っていた頃だった。それにしても、年下から年上にそういう言葉を用いるのは、いくら女性同士とはいえいかがなものかと言わざるを得ない。かなり天然入っているようだ。
 早苗も言ってしまってからそれに気づいたかびしっと固まって、
 「す、すみません・・・どう見ても二十歳くらいにしか見えないので・・・」
 と謝った。
 「一つ、貸しにしておきましょうか」
 と美加。
 「あーうー・・・」
 早苗は肩をすぼませた。美加は微笑んで、
 「そういうわけで、先生はあたしが早苗さんの力になってくれるようにとおっしゃったの。あたしも、同じように不思議な力を持つ人と知り合えるのはうれしいし、何かあれば力になりたいと思っているわ。古い神社だから、いろいろと触れられたくない所もあるでしょう。それについてあたしは一切触れないし、たとえ先生に頼まれても調べるようなことはしない。その限りで、何でも相談に乗りましょう。初めて会ったからなかなか信用はできないと思うけど・・・」
 それを聞いた早苗は、美加をじいっと見つめたまま動かなくなった。一昨日、私が早苗に協力を申し出た時と同じような反応だ。
 「早苗さん?」
 美加が声をかけた時、早苗はぴくっと動いて笑顔になり、
 「いえ・・・美加さんはいい人だと思います」
 と言った。
 後で美加から聞いたが、早苗はこの時、何者かに伺いを立てているような感じであったという。
 「さて」
 私は立ち上がって、「私がいては話せないような女性同士の話もあるだろう。私はいったん発掘現場の方に戻る。またあとで迎えに来よう」
 と言った。
 「あ、いえ」
 早苗は首を振って、「私が美加さんをお送りしますよ。先生は発掘に集中してください」
 「そうか、ではお言葉に甘えよう」
 私は美加を神社に残して、発掘現場へと戻って行った。

 

 


 江戸時代に御柱が出土したためにその場所を開墾せず空き地としたのならば、御柱はそう深い所に埋まってはいないはずだ。場所さえ合っていれば、掘り出すのにはそれほど時間はかからないと私はにらんでいた。ただ、材木であるので、注意が必要だろうが。
 神野は現場に出ずっぱりで指揮をとっていた。さすがにまだ何も出てきていない。
 私は北の山並みを見つめていた。この村には、伝承としては環状列石にあたる物がある。しかし実物は定かでないという。もう失われてしまったのか、それとも、ただ位置が分からなくなってしまっただけなのか。石が失われてしまったとなると、「生命の木」ももう失われてしまったことになる。
 (調べに行きたいものだ・・・)
 そう思っていると、
 “そんなに見たい?”
 と、すぐそばからあの少女の声がした。
 びっくりして辺りを見回したが、誰もいない。
 “あはははは”「ケロケロ」
 笑い声とともに蛙の鳴き声がした。
 足元を見てみると、そこには一匹の蛙がいた。今度は蛙に乗り移ったようだ。あるいは化身しているのか。
 
    蛙は、『万葉集』や『延喜式』収録の祝詞に、「地の果て、大地の行きつく限り」を表現する言葉として
    「谷蟇(たにぐく)のさ渡る極み(ヒキガエルが渡って行ける限り)」
    が常套句としてみられるように、古くより大地の霊力の象徴と考えられており、
    少彦名神や猿田彦大神などの神使となっている。

 「君か・・・」
 と私が言うと、「彼女」は、
 “七石のことを調べたいの?”
 と的確に尋ねてきたので、私は正直にうなずいた。
 「そうだ」
 すると、
 “いいわよ”
 と返ってきたので、私は驚き、
  「いいのか!?」
 と思わず声を上げた。
 “それがねえ”
 ため息が聞こえて、
 “早苗ったら、美加ちゃんと完璧に意気投合しちゃって、なんかもう自分の知ってることポンポン喋り始めちゃって・・・ホント、あいつもっと普段から厳しく早苗を躾けておかないから・・・まったく、私の苦労も水の泡”
 あいつとは何者だろうか。彼女と同じような存在がまだここにはいるということか。
 “まあそれはともかく、早苗が喋っちゃった範囲ならば自由にしていいわ。ただ、今は危険かもしれない”
 「危険?」
 “聞いてない?”
 「まさか、土蜘蛛・・・」
 “ピンポーン♪ 流石先生、物知りね。奴ら、嗅ぎ回ってるわ”
 やはり土蜘蛛だったのか。彼女も、それについて知っているようだ。
 「彼らはいったい」
 “私たちも知らないわ。ただ、一昨日やって来たヒョロい男、あれはその一味・・・ていうか、あれも土蜘蛛だった。ちなみにチビデブは別”
 「何だって」
 “だから、山を歩いていると、そいつに出くわすかもしれない。その時、ただの人間であるあなたは太刀打ちできない。奴らは基本的に夜行性だけど、ひと気のない暗い山中なら、日中でも行動する。それに、人に取りついている場合はその限りではない”
 飯島は土蜘蛛だったというのか。土蜘蛛は、死者に取りついて行動できる。彼はすでに死んでいて、土蜘蛛に乗っ取られて行動していたというのか。
 「奴らの目的は・・・」
 “わかってるくせに”
 「やはりこの村にあるのか・・・“生命の木”が!」
 “そこまでは教えない。あると思うのなら、自分の脚で探してね”
 「そうか・・・」
 土蜘蛛らも恐らく「生命の木」を探している。七石を探す最中に鉢合わせてしまう可能性は極めて高い。美加がいれば心強いが、あいにく今はいない。
 私が二の足を踏んでいると、その蛙がぴょんと跳ね、私の肩に止まった。
 「!?」
 “先生、あんたは早苗を助けてくれたし、美加ちゃんのこともある。ついていってあげよう”
 と、彼女は言った。
 「いいのか」
 “学者先生がどういう事するのか見てみたいし。何か襲ってきたら守ってあげる。あと、もし先生が不審な事したらすぐに始末できるように”
 「そんな事はしないよ・・・」
 私がぞくっとして顔をしかめると、蛙はケロケロと笑うように鳴いた。
 

 


 私は神野に車を借り、北に連なる山の方へと向かった。この山々の中には「根裂石」「枷戸石」「穀石」があるという。もちろん山中に舗装道路などなく、かつては軽トラックが入っていただろう道も、今は草が生い茂っていて轍の跡も見えない。
 私は車を下り、蛙を肩に載せて山道を登って行った。
 “蛇に気をつけてね〜”
 「蛙の君の方が気をつけるべきじゃないのかね」
 “こいつは一本取られたね”
 しばらく歩くと、周囲は森に囲まれ、峰も大池も見えなくなった。
 “どうやって見つけるのかしら?『ここにある』って示す地図もないのに”
 と「彼女」が訊いてきたので、私は答えた。
 「古くは、神を祀るには人工の物ではなく、天然の物を祀っていた。三重県熊野市の花の窟(はなのいわや)神社は『日本書紀』にも伊弉冉尊(いざなみのみこと)の墓所として記され、村人によって祭祀が行われていたことが記されている。『書紀』が編纂された八世紀初頭にはすでに伝統となっていた祭で、その起源は相当古いことが想像されるが、その神体は山の斜面から浜辺に突き出している巨大な岩石だ。それに、雨を祈るために山や川そのものを祭っていたことは『日本書紀』に続く正史『続日本紀』にもみえている。祭りたい場所に適当な自然物がなかった場合、その時には人工物を造って神の依代とした。そうでない限りは、自然物をもって祭祀対象にしていた。守矢神社の信仰が極めて古いならば、七石も自然石で、しかも巨大なものであるはずだ。村から誰もが見ることができるくらい、そうでなくとも、その石から次の石が見えるくらいの・・・であれば、最初に山を見れば、ある程度の見当が付けられる。後世の人は庭園の石のような奇石を思い描いたため、その所在を掴むことができなくなったのだ」
 “ほ〜”
 「彼女」は感嘆の声を上げた。
 “凄まじい読みと突っ込み・・・もし先生が女たらしだったら、世の女性はあっという間に丸裸でベッドの中ね”
 「何とうれしくない喩えだろうか」
 「ケロケロケロ」
 私はなお山道を登って行った。長く山道を登ってきているので、何となくどう進めばよいかはわかる。遺跡限定だが。
 やがて、細い山道を抜けた先で視界が開け、目の前に巨大な剥き出しの岩が姿を現した。
 「これだ・・・位置的には『穀石』だろうか」
 私は巨岩の下を覗いてみる。そこには土器の破片などが散乱していた。巨石の周辺で祭祀を行う事例は、先に述べた花の窟や、福岡県の宗像大社の沖津宮、「海の正倉院」と呼ばれる沖ノ島の祭祀遺跡が有名だ。
 「間違いない。ここは祭祀場だった。“七石”のひとつだ」
 立ち上がって、振り返る。この場所は周囲が広く見渡せる場所であり、南の山並みや東の峠まではっきりと見えた。中央の池が陽光を照り返していて、鏡のように美しい。
 今いる山の東隣の山の斜面に、白く光る岩肌が見える。
 「あれが・・・枷戸石か」
 南の山並みを遥かに眺める。山の頂上近くに白い岩肌が露出している部分が何か所か認められた。
 西の方を見ると、守矢神社が・・・見えると思ったが、この場所からは見えなかった。神社は村の真西ではなく北寄りに鎮座しているので、この場所からでは隠れてしまう。
 「おかしい・・・神社に“照石”があるのなら、ここから神社が見えるはずなのだが・・・」
 考えられることは二つ。これは七石の一つではない。あるいは、守矢神社にあるという照石は社殿の場所にはなく、ここから見える所にある。
 この石が七石の一つでないとは考えられない。祭祀の形跡があるからだ。となると、可能性は後者だ。「照石」はここから見える場所にある・・・
 「もしや」
 飯島が藁作りの大蛇に呑まれた所・・・事務所が見えたので、そこから飯島を探して走って行ったルートを追っていくと・・・・あの屋敷跡が見えた。ただし、ここに自然石は見えず、敷地の一角に木々の茂った所が見えるだけだ。ただ、伝承の中には、「照石」ではなく「照木」であったとするものもあった。
 “あ・・・その眼の追い方だと気づいちゃった?”
 と「彼女」が言った。
 「いや・・・あそこを調べない事には・・・しかし、あそこはだめなのだろう?」
 “いや・・・それがね・・・よく見てみ?”
 「?」
 私がよく目を凝らしてその場所を見てみると・・・
 「あっ!」
 二人の人間、どうやら美加と早苗がそこへ向かっているのが見えた。
 “あーもう!私が恐怖をもって人の立ち入りを禁じてたのが全部台無しだー!”
 蛙が肩の上でめったやたらに跳ね回る。もし人の姿だったなら、地上に仰向けになって手足をじたばたさせていただろう。恐ろしい時はとことん恐ろしいが、その一方でかなり愛嬌のある存在だ。
 私は晴れ晴れとした気分で、
 「では、あそこへ行ってもいいのだね?」
 “あーうー・・・そういうことになるかねえ”
 「彼女」はしぶしぶ、という感じで言った。
 “約束を違えるわけにはいかないからね。しかし先生、これを狙って美加ちゃんを投入したのか・・・この策士!”
 「いや、そんなつもりは全然なかったんだが」
 私は慌てて否定した。
 “でも、何であんなところに・・・”
 その時、背後で何かが動くような気配がした。
 振り返ろうとした時、その視界に何者かの手が伸びてきた。

(つづく) 

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