長野県山中に古代祭祀の遺構が発見されたという知らせを受けた私は、すぐさま現地へと飛んだ。 以前、この地で発掘作業に立ち会ったことがあり、その時にいくつか助言をしたことがあったが、今回の発見はそれを裏付けるものだった。 「ああ・・・稗田先生、お久しぶりです!」 「こちらこそ。神野さん、やりましたね」 「稗田先生の助言のとおりでした。ありがとうございます」 駅に着いた私は、発掘主任の神野という人(仮名である)に迎えられた。 彼は以前から県内の古代遺跡の発掘を手がけており、この地方の古い信仰形態を明らかにすることをライフワークとしていた。諏訪大社に伝わる、縄文時代にも遡るであろう祭祀形態のさらに源流がこの地方にあるのではないかと、彼は以前からこの地に注目していた。 「すぐにご案内いたします。外に車を待たせてますので」 神野のあとに続いて駅舎を出ようとしたとき、視界の端に何かが動くのが見えた。 反射的に顔を向けると、何か小さな蛇のようなものが駅舎の床と壁の間にするっと這い込んでいくのが一瞬見えた。 しかしよく見ると、そこには虫の入るような隙間もない。 (気のせいか・・・) 私は小さく首を振った。 さびれた駅舎を出ると、そこは平日の日中にもかかわらず、静かだった。 駅前の店はいずれも閉まっており、道路を行き交う車の姿もない。 「大ニュースのわりには、静かですね」 私が辺りを見回すと、神野は顔を曇らせて、 「仕方ありません。ここも過疎化が進んで、今では廃村同様なのですよ」 「以前来たときにはそれほど感じませんでしたが・・・」 「先年の台風で洪水が起こりましてね・・・この村は奇跡的に被害が少なかったのですが、周辺の被害がひどくて、交通的に隔離された状態になりまして・・・ほとんどの住民が他郷に避難し、そのまたほとんどがそのまま引っ越してしまいました。今では山の神社と、その氏子であるわずかな家がある程度です」 「神社・・・たしか守矢神社といいましたか」 「はい、守矢神社です」 外に待たせてあった車に乗る。 守矢神社は、『延喜式』や「六国史」ほかの古文献に名をとどめてはいないが、かなり古い歴史をもつ神社である。「あの神社も先代の風祝が亡くなりましてね・・・若い娘さんが後を継ぎました」 「娘さんが?以前見たことはありますが、まだ高校生くらいなのでは?まだ資格は取れないでしょう」 「あの神社は宗教法人登録していないのですよ・・・氏子たちが代々その信仰により守ってきた神社です。後継には、同じ血筋の者であること、先代より秘儀を受け継ぐこと、それで良いようですよ。詳しくは知りませんが」 「なるほど、そうでしたか」 遺跡へと向かう車窓から見えるのは、耕作する者のいなくなった田畑が一面ぼうぼうと雑草を繁らせている光景だった。 (本当に人がいないのだな・・・古くから信仰の拠点だったところが・・・ 時の流れとは本当に残酷だ) 「村がこんな状況では、その娘さんも大変でしょう」 「でしょうなあ・・・先代が亡くなってからは学校へも行ってないようです。氏子数も少なくなりましたから、生活するためには自分で何とかしないといけないようで」 車は周囲を取り囲む山の中でもひときわ高く美しい円錐形をした山のほうへと向かってゆく。 「遺跡はその守矢神社の麓、ほぼ先生がおっしゃったところにありました」 「あそこではないかと思っていました」 目の前の山はいわゆる「神奈備(かんなび)」と言われる、笠を伏せたようなゆるやかな円錐形の山で、古来より神が宿るとして信仰されている。奈良県の三輪山はその最たるものである。 私はさびれた田園風景を見ながら言った。 「昔はこのあたり一帯は湖だったと思われますからね。あの山の麓、神社から湖のほとりにかけて祭祀施設があったと考えるのが自然です」 「先生のおっしゃられたとおりでした。文献を調べると、江戸時代から明治時代の間にこの地方の収穫量が増えていて、さらに江戸後期にこの地方で地震があり各地で断層や隆起があったことが確認されました。おそらく地震で湖が隆起し、干上がったところを農地として開拓し、それを幕府には隠していたんでしょうね」 「そんなところでしょう。ここは山間部ですから、見つかりにくかったでしょうから」 「それでも、あの大池は小さな湖といってもいいですね」 小さな丘を越えると、行く手に大きな池が見えてきた。 山の麓にあり、青々とした水をたたえている。池といっても結構な広さで、歩いて周囲を巡れば一時間ほどかかりそうだ。 その大池をぐるりと迂回すると、目的地の発掘現場に到着した。 「どうぞ、こちらです」 神野に誘われて現場を目の当たりにする。 そこには、折り重なって倒れた巨大な二本の柱があり、そして少し離れた所には夥しい数の破損した土器が露出していた。 「土器は祭祀に用いたもので、使用後に廃棄したものでしょう」 と神野。 古代においては、祭祀に用いる土器は一回限りのもので、使用後は廃棄するのが常であった。現在でも、たとえば伊勢の神宮などがその慣わしを受け継いでいる。 「この柱は・・・御柱か」 私が言うと、神野もうなずいた。 「はい、おそらく。昔はこのあたりもまだ湖岸だったのでしょう、御柱が更新されて湖に廃棄された後、粘土に覆われたため今に残ったと思われます」 諏訪大社で七年ごとに行われる御柱祭は有名である。 「守矢神社でも、昭和までは御柱祭に類するような祭りがあったそうです。もちろん諏訪のものに比べるとずっと小規模でしたが・・・しかし、この柱を見ると、諏訪のものに勝るとも劣らない大きさです。これで、ここでの御柱祭祀が諏訪のコピーではなく、古代においてはそれをしのぐほどの規模で行われていたことがはっきりしたのではないでしょうか?」 「結論を出すのはこの巨木をしっかりと調べてからですが・・・」 私はやや引っかかるものを感じながら答えた。 「しかしなぜこのような僻地でこのような大掛かりな祭祀が行われていたのか?」 「この山の神がそれだけ畏怖すべき存在だったということでしょう」 と神野が言った。 「諏訪の社は、東方の蝦夷への前線基地としてあの場所に建てられたと思われます。鹿島や香取と同じですね。伊勢も、もともと東国経略の海路基点だったといわれていますし(注:伊勢国は近畿ではなく、東海道に属する。日本武尊も伊勢神宮で草薙剣を受け取ってから東征に出発した)、東国の古く大きな神社には、軍事的な色彩が強いものが見られます。そこで、諏訪の社がそういう政治的な意図で建てられたとしたならば・・・」 「その祭神は、軍事的要衝のあの地にどこからか勧請されたものである・・・神野さんは、その神とはこの山の神である、とおっしゃりたいのですね」 「そうです、さすが稗田先生、私の考えなどすでにお見通しだ」 神野はうなずいた。「この守矢の神社こそ、諏訪の神の本来の鎮座地だと、私は考えているのですよ」 「大胆な説です。ですが、もっと物証がなければ」 「はい。ここは廃棄場のようですから、祭祀遺跡はもっと上のほうになると思うのですが・・・そこは守矢神社の境内地になってしまうのです」 「許可が下りないのですか?」 「はい」 神野はため息をついて、「あの子がどうしても首を縦に振らんのですよ。神域を掘り返すわけにはいかない、と」 「風祝の子がですか」 「はい。こちらも神社には迷惑をかけるつもりなどないのですが・・・」 「氏子さんから言ってもらうということもできないのですか」 「ええ、氏子は風祝をそれこそ神様のように思っていて、あの子以上にとりつくしまがありません。皆さん、お年寄りですからね・・・」 「そうなると、市の文化課のほうからでも働きかけてもらわないと無理ではないですか」 「はい。もっとも、あの土地は官有地なので、市の自由にできることはできるのですが」 「官有地?ああ、払い下げが行われていないのですね」 戦前は「神道は国家の宗祀」であったため、神社境内地は国有地であった。戦後、神社が国家の手を離れ宗教法人としてでなければ活動できなくなった時、そういった境内地は申請すれば国から神社へ無償で払い下げられた。しかし、その時に払い下げが行われなかった土地はそのまま国のものとして残っており、現在でも時折係争のもととなっている。 「こういった田舎ですから、そういう事情に疎かったのでしょう。ただでさえ古来の因習が残る閉鎖的なところですので・・・ですが、それを盾にして発掘を行うのは、私にははばかられます。やはり、神社に関わる方々の同意を得てから発掘したい・・・」 神野は苦しそうに言った。 私はうなずいて、 「わかります。場所が場所ですからね。誰の心にもしこりを残したくない」 「はい」 神野はうなずいた。 しかしそこへ、 「神野さん、これ以上発掘を遅らせていては期限が切れてしまいますよ」 と、若い男が声をかけてきた。 「あそこは官有地ですよ?われわれは市から発掘の許可をもらっているんですから、市の土地を掘り返しても何の恥じるところもないでしょう」 「江坂くん・・・」 神野が顔をしかめて振り返った。 江坂(仮名である)と呼ばれた若い男は、いかにも利発でドライそうな顔をした大学出くらいの男で、あとで聞いたところによると学芸員志望とのことだった。 「そういうわけにはいかないと何度も言っているだろう」 「宗教法人登録もしていない、土地の払い下げもしていない、そんなもの、人の土地に住み着いている流しの祈祷師と同じじゃないですか。それをちゃんと説明すれば向こうも恐れ入って頭を下げるでしょう。神様だ伝統だといっても、法律には勝てませんよ」 「そんなことであちらの協力が得られると思っているのか!」 江坂の言葉に神野が気色ばむ。しかし江坂は首を振って、 「境内から何か出れば、確実に歴史を塗り替える大発見です。そうすればこの神社にも脚光が当たり、ここを中心にこの寂れた村を再生させることも可能、おいしい話じゃないですか。そう言えば、向こうも乗ってくるでしょう」 「損得の話ではない。人の心の問題だ」 「心どころじゃないでしょう、この神社、こんな廃村寸前でこれ以上やっていけるわけないじゃないですか。このままだと確実に潰れますよ。神野さんはそれを期待して待って待って、それから発掘するつもりですか!今発掘することは、この神社を救うことにもつながるんですよ!」 江坂にも、それなりの言い分はあるようだ。ただ、やり方がいささか乱暴ではあるが。 「誰が神社が潰れることを望むものか!」 神野が江坂の言葉に激昂した。「そうならないように、まず説得するんだ!」 江坂も言い返す。 「まず発掘してその成果を見せて、向こうにわかっていただくんですよ!」 「二人とも落ち着いて・・・」 私がやんわりと割って入ると、二人ともばつが悪そうに引き下がった。 「先生、すみません、つい。見苦しいところをお見せしました」 「こちらもつい言い過ぎました、すみません」 江坂も頭をかいた。 「まあ、今日も説得に行ってみるよ」 と、神野。 「僕も行きます」 と江坂が言った。 「おまえが行くと話がこじれそうだ」 神野は顔をしかめる。 そこへ私が口を出して、 「まあまあ、私もついていっていいですか。何か助言ができるかもしれない」 「稗田先生が来ていただけるなら心強いです」 神野がほっとしたように言った。「一休みしていただいて、それから行きましょう」 「はい」 私がうなずいたとき、発掘現場から悲鳴が聞こえた。 「どうした!」 三人が現場のほうへ向かうと、女性の発掘ボランティアが腰を抜かしてへたっていた。 「へ、へ、蛇みたいなものが・・・」 女は震える声で言った。 「蛇くらいでそんなに大声出すなよ」 と江坂。しかし女性は、 「違うの!蛇じゃないの!蛇みたいだけど、違うの!なんだか、とても恐ろしい・・・!土の中へ・・・消えて・・・!」 とわめいたきり口をつぐみ、がたがたと震えだした。 (蛇・・・?) 私は、駅で一瞬見かけた蛇のようなものを思い出した。 (まさか、あれが・・・) (つづく) |