四. 魔理沙は全速力でひと飛びし、煙の中を突き抜けて外へ――と思ったが、周囲はなお暗いままだった。 「あ、あれ?夜になっちまったのか?」 魔理沙が戸惑う。 「違う・・・」 霖之助が苦渋に満ちた声で言った。 「下を見てみるんだ」 下をちらりと見た魔理沙は、愕然とした。 黒く焦げた大地の上を赤炎と黒煙がごうごうと音を立てて龍のように渦巻き、その中で無数の人々が逃げ惑い、焼かれている。 そして、異形の鬼たちが彼らを追い立てていた。 「これは・・・この風景って・・・」 魔理沙は背筋がぞくりとした。 「ま、まさか!」 「そうだ・・・」 霖之助が小さく首を振りながら言った。 「この風景はあの屏風のものだ。僕たちはあの屏風に取り込まれてしまったんだ」 魔理沙は霖之助のほうを振り向いて言った。 「絵の中って、そんなことありえるのか!?」 霖之助は答えた。 「絵の中・・・というより、画家の思念に取り込まれてしまったというところだろうか。顕界と幻想郷が隔てられているように、僕たちはこの絵に込められた画家の思念の世界に入ってしまったんだろう。画家はこの絵にはよほどの思いを込めていたらしいね」 「よほどろくでもない思いだったんだろうな・・・」 魔理沙は額の汗をぬぐいながら言った。帽子がない。急発進したときに落としてしまったのだろうか。もっとも、今はそのようなことはどうでもよかった。 「暑い・・・本当の地獄もこんなに暑いんだろうか?」 「先日行ってきたんじゃなかったのかい」 「あれは地獄跡地で、本当の地獄じゃない」 「まあ、そのまま泥棒家業を続けて、死んでから行ってみればわかるんじゃないか?」 「借りてるだけだぜ。それに、ここから出られないと地獄も極楽もなさそうだ」 「そうだね。何とか出る方法を考えないと・・・」 周囲には煙と熱気が立ちこめ、頭がくらくらしてくる。 魔理沙はさらに上空へと飛び上がったが、暑さはほとんど変わらなかった。 「こりゃ、下に降りたら丸焼きになりそうだ・・・」 「このまま飛んで行くしかないだろうね」 「・・・・・・」 魔理沙が霖之助のほうを振り返った。 「どこへ?」 その表情には翳りの色があった。 「うーん・・・」 霖之助は考え込む。その姿を見て魔理沙が、 「香霖が持ってきた絵のおかげでこんなことになったんだから、ちゃんと責任取ってくれよ!」 と語気を荒げた。 霖之助が思わず顔を上げると魔理沙ははっとして、 「す、すまない。ちょっといらいらして・・・」 と口をつぐむ。 「いや、魔理沙の言うとおりだ。僕が迂闊だった」 霖之助は魔理沙に小さく頭を下げた。魔理沙はかなり不安を感じているようだ。自分が何とかしないといけない。 「ひとつ考えがある」 と霖之助は言った。 「何だ?」 魔理沙が早く聞かせろ、という風にすぐさま返す。 霖之助は説明した。 「ここは地獄絵図の画家の思念の世界だ。ということは、この世界を構成する画家の思念を破壊するか乱すかすれば、この世界に揺らぎ・綻びが生まれ、脱出の糸口が生まれるはずだ」 「思念を・・・って、どうやればいいんだ?」 「画家は、絵を描く場合には、どこかの部分にもっとも焦点を当て、 そこに心血を注いで描き上げることがある。つまり、そこに画家の思念がもっとも籠められている。絵の核心であり本質、画家の心が体現されているところだ。そこへ向かえば、なにか突破口が見つかるはずだ」 「そうか!」 魔理沙の表情が明るくなる。しかしすぐに眉をひそめて、 「・・・で、それってどこだ?」 霖之助は微笑んで、 「あの屏風絵でもっとも印象に残っている部分はどこだったかな?」 魔理沙は口を尖らせて言った。 「あんな狂ったモノ、まともに見てないぜ」 霖之助は顔をしかめた。 「素晴らしい作品だというのに」 魔理沙、 「いいから早く教えてくれ。すぐに向かうからさ」 「わかったよ」 霖之助は肩をすくめ、説明を始めた。 五. 「あれ」 阿求が何かを見つけて店の奥のほうへ小走りに走っていき、何かを拾い上げた。 「どうしました?」 と慧音。 「これ・・・」 阿求は、大きなリボンのついた黒いトンガリ帽子を慧音に掲げてみせた。 「それは・・・魔理沙の帽子ですね」 慧音は阿求の側まで言って帽子を確認すると、あごに右手をやった。 「どうしてこんなところに・・・」 そしてふと顔を上げてぎょっとする。「これは・・・」 「うわ」 慧音にならった阿求も思わず声を上げた。 「これ・・・地獄絵図屏風ですか」 「そうですね。無縁塚で拾ってきたんでしょうか。物凄い迫力だ・・・」 二人はしばらくその絵に見入る。 阿求、 「炎熱地獄ですね、これは」 慧音、 「そういえば転生されるまでは冥府で働いておられるとか・・・見たことがおありなのですか?」 「いえいえ、そこまでの詳しい記憶はありませんよ。それに事務仕事らしいですし」 「そうですか。それにしても物凄い炎ですね・・・想像で描いたとはとても思えない」 「画家は実際に大火の場面を見たことがあるのかもしれませんね」 「逃げ惑っているのは・・・服装からすると、貴賎を問わず、あらゆる階級の人間ですね」 「僧や神主、巫女までも・・・牛頭馬頭も迫真の描写です。まるで見たことがあるかのような」 「ここの剣山の上、中空には落ちる牛車が・・・燃える牛車の中で娘さんが炎にまかれている」 「この娘さんの描写がいちばん真に迫っていますね。 この大きさなのに、表情、仕草の描き込みが凄い。魂がこもっているというか・・・」 「本当に真に迫っている・・・まさか、これも“実際に見て”描いたわけではないでしょうが・・・それにしても惨い・・・ここまでの描写をして、画家は正気でいられたのだろうか」 「正気では描けないと思います。生きながらその魂は地獄にある、そのような人間でないと・・・」 「そういえば、地獄絵図にはつきものの閻魔様がいないですね」 「そうですね・・・ああ、ここの端です。火事か何かに遭ったのでしょうか、煤けて消えてしまってますね」 「ああ、本当だ。周りが炎と煙なので気づきませんでした」 「これでは、ここの人々は永遠に罪を償うことができずに苦しめ続けられることになりますね」 「ですね・・・おや?」 慧音は妙な気配を感じて辺りを見回した。 周囲は真っ暗になっていた。そしてごうごうという音が聞こえてくる。 「えっ!?」 阿求も驚いて辺りを見回す。「これはいったい・・・」 もくもくと煙が湧き起こり、熱気が立ちこめてきた。そして、どこからか声が聞こえてくる。 (来い・・・来い・・・奈落へ来い・・・) 「これはっ!」 慧音ははっとし、阿求の持つ魔理沙の帽子を見た。「まさか!」 そして阿求を抱き寄せると、すかさず自らの能力を使い、飛びのいた。 二人は一瞬にして香霖堂店内に戻っていた。 「ああ、ここの端です・・・って、あれ?」 閻魔の位置を説明しようとした阿求がきょとんとする。 「すみません、緊急のことで・・・」 慧音は阿求を下ろした。「歴史を少々食べさせていただきました」 慧音の説明に、阿求は絵のほうを見やって、 「それじゃ魔理沙さんと霖之助さんは・・・」 「おそらく・・・」 「じゃ、二人の歴史も食べてここへ呼び戻すことは・・・」 「いえ、私が確たる認識をしている事象でないとそれはできません」 「では・・・って、また来た!」 再び黒煙が絵から二人のほうへ流れ出してくる。 「しつこい・・・ここはいったん退いて・・・」 慧音が言いかけたとき、 「そこ退いて!」 と背後から声がし、驚いて二人が横へ飛びのくと、 一枚の御札がびゅんと飛んで天井に張り付き、 「集!」 の鋭い掛け声とともにその煙を吸い取り始めた。 振り向いた二人はぱっと明るい表情になり、 「霊夢!」 「霊夢さん!」 と声を上げる。 「これはどういうこと?ものすごくいやな雰囲気だけど」 博麗霊夢が、異変時のようなスイッチ入った表情で店に入ってきた。 六. 「ええい、しつこいっ!」 地獄の上空に星々がきらめき、群がり来るミミズクたちを飲み込む。 「地獄に飛んでるのはカラスかと思ってたけど、ミミズクかよ!」 墜落するミミズクたちを見ながら魔理沙が言った。 「画家の趣味かなんかじゃないだろうか?」 と、霖之助。 二人は、次々と飛来するミミズクの群れを払いのけながら飛んでいた。 「しかし、急に数が増えたぞ!それにえらく凶暴になってる」 魔理沙は星たちを自分たちの周囲にバリアのようにはりめぐらせており、 それにかかったミミズクたちが次々にはじかれて落ちていく。 「これはおそらく、核心に近づいているからだと思う」 霖之助が言った。「画家の思念が、そうさせまいとこいつらをけしかけているんだ」 「それじゃ、方角はこちらでいいんだな?」 「うん、剣山の方角だ」 二人は、大火焔の中から白く聳え立っている山へと向かっていた。 遠目には白い山だが、その実は無数の刀剣がさかしまに立ち並んでいる剣山で、罪人たちがそれに突き刺されて苦しみ悶えている。 霖之助は、その剣山の上空に描かれていた、燃え盛る炎に包まれ落下する牛車の中から上体を出している娘の姿こそがこの絵の核心だと言った。凄惨な筆致の中でもこの部分だけはさらに恐るべき生々しさで、 この部分は画家がまさに魂を込めて描いたに違いない、と。 そして二人は途中遭遇したいくつかの障害を蹴散らしつつここまで飛んできたが、ここにきてミミズクの大群に襲われたのだった。 「・・・となると」 魔理沙はにやりと笑う。「香霖の審美眼も意外と確かなんだな」 霖之助は顔をしかめて、 「この僕に向かって随分な事を言うね」 「あははっ、冗談だ」 魔理沙は笑った。「頼りにしてるぜ」 そして前を向き、 「突っ切るぜ!香霖、つかまってろ!」 魔理沙は懐からスペルカードを抜いて発動させた。 「いくぜ!ブレイジングスター!」 二人の姿が箒とともに彗星となり、星を撒き散らしてミミズクたちを吹き飛ばしつつ、一気に剣山へと飛んでいった。 |