地獄変


 

一.

  霧雨魔理沙はいつも通り元気よく香霖堂の戸を開け、
 「おーす、香霖」
と声を上げ――眉をひそめた。
 「ああ、魔理沙か。何の用だい」
 奥のほうから森近霖之助の声が飛んできた。
「いやまあ、何か面白いものがないか見に来たんだが・・・」
 魔理沙は少し警戒するように店内に一歩を踏み出した。
 何かいつもと雰囲気が違う。重くよどんだような、
冷たい空気があたりに立ち込めているような気がした。
 (ん?なんだろう・・・気のせいか・・・?)
 奥のほうから霖之助が顔を出した。
 「やあ、すまない。今ちょっと力仕事をしていてね」
 「力仕事?在庫が崩れでもしたのか?」
 「いやいや。今日無縁塚の方に行ったらなかなかすごいものを見つけてね」
 「すごいもの?」
 「見るかい」
 「見たい」
 魔理沙は霖之助の返事も聞かずに奥のほうへと大股で歩いていったが、今度は背筋がぞくりとした。
 (風邪でもひいたかな?ちょっと夜更かしして本読み過ぎたかな・・・)


二.

 「これだ」
 棚に立てかけてあるのは一枚の屏風だった。
 「うわ」
 魔理沙は目を見張った。
 そこには、通常の屏風の画題になりそうな自然の情景や鳥獣の姿はなかった。
 そこに展開されているのは、見るも恐ろしい地獄の情景だった。
 無数の人々が紅蓮の炎に焼かれ、剣山刀樹に串刺しになり、獄卒たちに責め苛まれ、文字通り地獄の苦患に苛まれていた。
 屏風の大半を覆っているのは烈々たる火焔で、巨大な炎と黒煙とがねじくり合って暴れ回るさまはあたかも赤と黒の龍がのたうっているかのよう、じっと見ているとその中に引き込まれそうな感覚になる。
 「これは地獄絵図屏風だ。昔は、現世での生活を慎むため、あえてこのようなものを作り毎日目にすることで自分を律した人も多かったようだね」
 「本当か?」
 魔理沙は苦笑した。「いつもこんなの見てたら、飯も喉を通らないし、寝覚めも悪くなるだろ。そんなことする奴の気が知れないぜ」
 「魔理沙のような人間にこそ必要かもしれないな。持っていくかい?」
 「御免こうむる。っていうか、こんな物売れないだろ」
 霖之助は首を振って絵のほうを見やった。
 「いやいや、この筆致、古さを感じさせない迫力があるよ。色使いも鮮烈だ。特にこの赤色、まったく色あせていない。価値は高いよ。 紅魔館のお嬢様や永遠亭の姫君ならお気に召すんじゃないかと思うけどね」
 「あー、そうかもな」
 魔理沙は笑った。「あいつらちょっとおかしいからな」
 「特にこの剣山の上の・・・」
 霖之助が絵の説明を始めようとしたとき、どこからか悲鳴が聞こえた。
 「ん?」
 「悲鳴だぜ」
 「誰か妖怪に襲われているんだろうか?」
 「ちょっと行ってくる!」
 魔理沙は外に飛び出し辺りを見回したが、何も聞こえない。
 箒に乗って宙に舞い上がり下を見下ろしても、何の異常も見られなかった。
 魔理沙は首をかしげながら店内に戻った。
 「何ともなかったぞ」
 「おかしいな」
 霖之助も首をかしげた。「確かに聞こえたと思ったんだが」
 「ああ・・・」
 魔理沙は屏風を見た。「こんなもの見てたから空耳起こしたのかもな・・・まあいいや、ほかには何か面白そうなもの入ってないのか?」
 「ああ、いくつか入ってきているね。こちらではあまり使えなさそうなものばかりだが・・・見るかい?」
 「見る見る」
 二人は店の奥に入り、霖之助が新入荷の商品を魔理沙に説明してやった。どれも小型の式神のようで、バッテリーが切れてしまっており、沈黙したまま動かない。
 「これじゃ使えないなあ・・・そうだ、河童になんとかしてもらおう」
 と魔理沙。
 「自分が持って行く、って言うんだろう」
 と、霖之助。
 「ああ」
 「だめだ」
 「どうして」
 「そのまま自分のものにしてしまうからね」
 「信用ないなあ」
 「信用しているからこそさ」
 「ちえっ」
 魔理沙は残念そうに品物を置いた。そして、ぴくんと顔を上げる。
 「何か匂わないか?」
 霖之助が店先のほうを見て、大声を上げた。
 「大変だ、煙が!」
 店先のほうから黒い煙がもうもくと流れ込んでくる。
 霖之助ははじかれたように駆け出す。魔理沙も急いで後を追った。
 敷居をくぐると、そこはすでに煙で辺りも見えないほどになっていた。そして、ごうごうという炎の燃え上がる音も聞こえてくる。
 「これはいったい・・・!」
 霖之助がうろたえた声を上げる。「火の気はなかったはずなのに・・・」
 「誰もこの近くにはいなかったし、火付けってこともありえないぜ!」
 魔理沙も叫ぶ。「何でこんな・・・」
 その時、何者かが霖之助の背後に立った。そして、何か棒状のものを振り上げる。
 「香霖!」
 魔理沙はとっさに懐中のスペルカードを一枚抜き、発動させた。
 無数の星が煌めき出るや霖之助を迂回しその背後のものに襲いかかる。
 それは、馬の鳴き声のような恐ろしい叫び声を上げ、崩れ落ちた。
 「大丈夫か、香霖!」
 魔理沙が叫ぶ。
 「ああ、大丈夫だ、ありがとう・・・!」
 答える霖之助の足元に何かが転がった。それは黒く光る鋼叉(さすまた)だった。
 「鋼叉・・・!?」
 霖之助は眉をひそめた。「まさか・・・」
 背後を振り返る。
 そこには、馬頭人身の鬼、いわゆる「馬頭(めず)」が倒れていた。
 (これは・・・・・まさか!まずい!)
 霖之助は魔理沙のほうに走った。
 「魔理沙!ここは危ない!急いで脱出するぞ!」
 「お、おお!」
 魔理沙も、よく事情は飲み込めなかったが、
とりあえずこの火事の中から脱出しなければならないのは理解していたので、霖之助を箒に乗せるやいなや全速で香霖堂の出口方向へ飛んだ。


三.

 「ごめんくださーい」
 「こんにちは」
 二人の少女が香霖堂の戸口をくぐった。
 「・・・あれ?静かですね。留守でしょうか」
 稗田阿求が首をかしげる。
 「それなら戸締りをしているはずですが・・・」
 上白沢慧音がきょろきょろと辺りを見回す。
 阿求がぽんと手を叩いて言った。
 「そういえばさっき、魔理沙さんがここら辺で一瞬飛び上がったのが見えましたよね」
 「そうですね・・・二人でどこかへ行ったんでしょうか」
 慧音は店の奥に向けて大声を張り上げた。
 「すみません!どなたかいらっしゃいませんか!」
 しかし、何の返事もなかった。店内はしんと静まり返り、人の気配は感じられなかった。
 「はあ・・・何か外の世界の書物があればとご無理を言って連れてきていただいたのですが」
 阿求はため息をついた。「お手間を取らせてしまっただけのようですね、すみません」
 「いえ、お気遣いなく。一人では危険ですからね。まあ、留守では仕方ありませんよ」
 慧音は微笑んで返事したが、すぐに難しい顔になり、店内を見回しながら腕組みした。
 「しかし、何かおかしい・・・何か・・・」
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