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これより前3週間は一日も休みがなく、出る前はゆっくり寝とこうと思ったものの、
何か作っていかなきゃ・・・と思ったらいてもたってもいられなくなり、男塾芸人とか見ながら3時くらいまで描いて、沈む。
7時前に目が覚めて、しまった!と支度をして飛び出して、いろいろ忘れた!と思って、
あっちで買えばいいや、と思い直して、とりあえず東京へ向かう。
通路向かいのひとつ前列の人がFSSリブート・アトロポス1をビニール袋に入れてぶら下げてるのを見て、
帰ったら買おう・・・と思った。そういえばGガン5巻も買ってなかったし。書店行く暇なかったし。


描いた絵の1枚目。以下、リグル、華扇さん&早苗さん、そしてはたてをその場の勢いで。


12:30に東京駅着。
八重洲口から出て、徒歩で日本橋、三井本館の三井記念美術館へ。
「日本橋架橋百年記念・日本美術にみる“橋”ものがたり―天橋立から日本橋まで―」開催中。
イザナキノミコトが天との行き来に用いていた梯子が倒れたものと丹後国風土記逸文に記される天橋立から
明治44年架橋の現在の日本橋、つまり神代から現代に至るまでの「橋」というものがどのように在り、
どのようなものであると考えられ、美術の上にあらわされてきたかの一端を展示している。
展示期間を5パートに分けて入れ替えを行っているようで、実際に見られなかったものも多かった。
地元にあれば何度でも行くんだけど・・・

展示品は茶器や蒔絵箱などの工芸品、参詣曼荼羅、屏風絵、錦絵などの絵画、名所図会、擬宝珠などなど。
住吉、日光、伊勢など神社や寺院にかかる神仏の橋、
宇治橋、八橋など文学・伝承の名所の橋、
江戸時代になると各国の名橋がクローズアップされ、奇抜の北斎と堅実の広重が各々のセンスで各地の橋を描いている。
江戸後期に作られた日本の橋の番付「日本大橋尽」も展示。一部書き抜き。

東ノ方
大関:岡崎矢矧橋 関脇:福井掛合橋 小結:越中船橋 
前頭:三州吉田大橋 南部船橋 江戸永代橋 江戸新大橋 奥州名取川橋 仙台大橋 越前船橋 越前相本橋 藤川釣橋(後略)

行事:千住大橋 江戸両国橋 江戸大川橋 
頭取:〔江戸方〕 天王橋 三枚橋 弁慶橋 今川橋
世話人:木曽掛橋 大坂四ツ橋 同・心斎橋 佐野船橋
勧進元:大坂日本橋 江戸日本橋

西ノ方
大関:岩国錦帯橋 関脇:瀬田唐橋 小結:大坂天神橋
前頭:城州淀大橋 筑前算盤橋 大坂天満橋 大坂難波橋 伏見豊後橋 堺大和橋 城州宇治橋 京五條橋 阿州助任橋(後略)

番付は純粋に長さベースで、各橋の間数が記されている。船橋も「何艘分」と記され、間数換算されているようだ。
瀬田唐橋は二本連続の橋で、合計長では錦帯橋を上回るが、二本ということで錦帯橋に席を譲っている。
ただ、藤川釣橋のみは「間数不知」ながら前頭九枚目にランクイン。釣橋という特異性が評価されたのか。
最後には京の橋、江戸の橋。
劈頭に展示される「宇治橋断碑拓本」は、大化二年(646)に宇治橋を架橋した僧道登の業績を称えた石碑の拓本。
この石碑は、江戸時代の寛政三年(1791)に宇治橋近くの放生院の垣根の側から出土した上部三分の一の「断碑」を、
『帝王編年記』大化二年条に収録されている碑文によって全体を復元し、寛政五年に放生院境内に再建したもの。
古代の人の橋に対する思いを感じることができる。
江戸では隅田川の図が楽しかった。で、締めは東京日本橋。
橋ファンにはなかなかな催しではなかろうか。


腹減ってきたのでそのまま三井本館内のレストランで食べて、宿をとっている上野へ向かい、
チェックインして少し休み、上野公園へ。
この日の国立博物館は20時までということだったので安心して国立科学館と国立博物館の当日券を買い、まず科学館の恐竜博2011へ。
16時頃だったので、待ち時間は10分ほど。14時くらいは40分待ちだったそうだ。
さすがに人気で、子供たちがぞろぞろしている。しかし行列待ちは予測範囲内です。10分程度なら待つうちにも入りませんよ。
入り口ではバトルスピリッツの恐竜博2011スペシャルカードを配布。
展示は、最新の標本も交えて各時代の恐竜を中心とした動植物の化石を展示。
入り口付近では、アロサウルスとヘスペロサウルスの対峙が目を引く。
始祖鳥(アーケオプテリクス・リトグラフィカ)命名150周年ということで、
始祖鳥の最新標本であるサーモポリス標本を中心に数種類の標本を展示し、
近年注目を集める中国・モンゴルからの出土化石から鳥の祖先となった恐竜を中心に展示。
そしてメインのティラノサウルス・レックスとトリケラトプス・プロルスス。
T-REXは発見者にちなんだ「バッキー」という愛称の化石のレプリカ。
最新の研究成果と仮説を踏まえ、しゃがんだ姿勢の「待ち伏せポーズ」で展示されている。
後脚を折り畳み、恥骨で胴体を支えて安定させ、小さな前脚は起ち上がる時の前方重心移動の支点に用いられたと仮定されている。
なんとなくエルガイムMk-IIのプローラー形態を思い出した。
また、復元図では、背中がふさふさの羽毛に覆われた姿が提唱されている。
トリケラトプスについては、前脚の手の甲が外側を向いていたであろう、という仮説に基づいて組まれている。
どっちもデカい。そりゃWもアクセルもサポートマシンを使わなきゃ倒せない。
最後のコーナーは最新研究。
羽毛恐竜アンキオルニスの羽毛化石のメラノソームを解析し、恐竜で初めて科学的に復元されたアンキオルニスのカラーリング、
子育てマイアサウラ、オスが抱卵していたとみられるシチパチ、
テリジノサウルス類の胚からわかる恐竜進化の系譜、
恐竜のふんから考察されるイネ科の起源、
現存鳥類から恐竜を推察する、などなど。


それから国立博物館、空海と密教美術展へ。
「国宝・重要文化財98.9%」というよくわからないキャッチコピーつきで、確かに文化財としては重要なものを揃えていたが、
それゆえに長期間の展示が出来ず、密教を俯瞰するにはやや断片的なきらいがあった。
国宝・重要文化財が逆に「縛り」になってしまった、という感じ。
また、密教展を謳うからには、仏菩薩明王諸天の像には印契や真言を附してほしかった。
降三世明王像の、両手首を交差させて小指どうしを組み人差し指を立てるというカッコいい降三世明王印を真似している子供もいたのだし。
こういう宗教的・精神的なテーマを扱う催しがただの「美術展」になってしまうのは惜しい。


なんだかヘロヘロになってきたので、宿に戻ってしばらく休む。
暗くなってきたら外に出づらくなってしまうので、なんとか飯だけは食べないと、とまた外出。
先に御土産買っとこう、とアトレで買い物して、それからハンバーグ食べて、たらいっぱいいっぱいになってきて、
なんとか食べきってからマルイの無印良品でちょっと買い物して、宿に帰ってベッドに突っ込んだらほどなく意識が無くなって、
起きたら翌日の未明だった。疲労感もあって、真夜中に起きても何をしようとも思えず、また寝た。
5時に起きる。もう1時間、と思ってまた寝る。
6時。さすがにもう起きねば、とシャワーを浴び、コピー本もどきに文面を書き入れると近くのコンビニに行ってコピーし、
部屋に戻ってせっせと折って、7時になったので朝食を食べに降りて、体もだるいしゆっくりと食べる。
部屋に戻ってせっせと製本し、できた・・・ところでどっと疲労感が襲ってきた。脈拍が速いし、軽く吐き気もする。
「行きたくない」という声が頭の中で聞こえた。しかし行かないわけにもいかない。
もう少しゆっくりしてからチェックアウトし、新橋駅で荷物をロッカーに放り込んで、ゆりかもめに。
新大阪始発で来たのとあまり変わらない時間だけど、倒れて面倒くさいことになるよりはマシ。
行列(意外と前のほうだった)の間は、ひたすらマズいことになるのをなんとか耐える時間帯だった。
で、動き出して会場へ。上海アリス列に並んだら本気でマズそうだったので、
東5から6に向かって島伝いに、知り合いの方々に挨拶しながら廻っていったが、
サークルチェックが抜けまくりで「あれ、あの人はどこに?」とか、
単に頭がぼーっとしていて飛ばしてしまったりとか、
足取りも重いし牛歩みたいな感じで、13時過ぎにやっとこ東6まで到達して、その時には壁のほうはあらかた全滅気味。
それでも一通り廻って、まだ会えてない人に会うべくぐるぐる回って、
その合間に東123へ行ってレトロゲーアレンジCDを入手したりしながら、
16時になって88888888888・・・したところで左下腹部がキリキリキリと痛み始め、こりゃ本格的にまずい、と会場を離脱。
喫茶店で飲食し、痛みが治まるまで充分待って、その間に入手し損ねた本を通販で注文して、
それから新橋へと戻り、あと塩分も補給しないと・・・とラーメンを食べて、
ここでも充分休んでホームに上がったら、山手線も京浜東北も事故で運転調整中。
まじで!と思いつつもその時ホームに停まっていた山手線で東京駅へ、そしてラストののぞみに乗って帰途へ。
新幹線内では、動悸がするので全く眠れず。
駅に着いてから車で帰宅するまでは幻聴ぽいものが聞こえていた。
で、なんとか生きてます。