紅葉


 


 妖怪の山。
 深秋の頃ともなり、落葉樹は紅や黄色に鮮やかに色付いてはらはらと舞い落ちている。
 この山の紅葉は毎年美しく、山に近づけない里の人間たちもその情景を遠くから見て楽しんでいた。
 なぜこの山の紅葉が美しいかといえば、この山に秋の女神がいらっしゃるからだという言い伝えがあり、
実際そのとおりだった。
 その山麓の渓流で、
 「・・・・・・」
 藤原妹紅は川辺の磐の上に腰を下ろし、無言で川を見下ろしていた。
 天狗のテリトリー付近では大瀑布や激流となっている川も、河童のテリトリーまでくるとかなり穏やかとなり、
甘水となって平地へと流れてゆく。舞い散る紅葉も激流に揉まれることなく、静かに水面を漂い、
あるいは澄んだ水の中をくぐっていた。
 妹紅は最近妖怪の山へ登ったのだが、その時に、この場所は紅葉の頃にはさぞ美しくなるだろうと思っていた。
そして秋の深まる頃、またこの場所へやってきたのである。
 はるか昔、彼女は大和の龍田川へと行ったことがあった。まず立野に坐す風神の社に参拝し、
それから三室山や龍田川で紅葉を楽しんだものだった。
 最近この山にも風神が引っ越してきたので、よりいっそう龍田らしくなったな、と妹紅は思っていた。
龍田の社には、秋の女神である龍田比売神も祀られていたからである。
 彼女はこの風景の中で、昔のことを思い出していた。
 

 父は、最後には高位に登りつめ権勢を極めた人物となったが、若い頃はそうではなかった。
 祖父は朝廷に大なる功績を挙げた人物だったが、その死後の動乱により敗者側となった一族は勢力を失い、
その時まだ少年であった父は処罰されることはなかったものの、下級官人からキャリアを始めるほかなかった。
母とはその頃知り合い、やがて自分を生んだ。ただし父にはすでに妻(有力な貴族や従妹だった)がおり、
母の身分は低かったので、ほとんど私生児的な扱いだった。それでも、時々逢いに来るその姿は、
まぎれもなく優しい父親だった。
あとから知ったことだが、父には「近江の帝の御落胤」という噂がつねにつきまとっており、
そのために自分に共感を覚えたのかもしれなかった。
 自分が幼い頃、一家で龍田へ出かけたことがあった。そのころは朝廷での権力争いが激烈で、
次の帝に誰を擁立するかで緊張が高まっていた。それゆえ父はまれにしか自分たちの所を訪れてくれず、
それだけにこの小旅行はうれしかった。
 その時のことはほとんど記憶にない。ほかの妻や兄弟たちの視線が冷たかったかもしれないが、
そんなことは覚えていない。ただ、川が一面紅に染まってとても綺麗だったこと、
そして父が紅葉の枝を手折って自分に渡してくれたことだけははっきりと覚えている。

 妹紅は上を見上げた。紅く色付いたモミジの木が傘のように枝を垂らしている。
 ぱちり、と指を鳴らす。すると、一本の枝が折れ、妹紅の上に落ちてきた。
 それを受け止め、両手で優しく胸に抱く。
 (父様・・・)
 あの時、うれしさのあまりモミジの枝をまるで宝物のように大事に受け取り、胸に抱いたことを昨日のように思い出す。
あまり会うことのなかった父の顔はもはやぼんやりとしか思い出せないが、
こうしさえすれば、父の思い出、そしてその存在を強く感じることができた。

 その後、父は新帝擁立に功績を立て、またその新帝に自らの娘(異母姉になるが)を奉り、出世の糸口をつかんだ。
新帝はまだ年若く、帝の祖母にあたる先帝が後見役として引き続き政務を執り、父はその片腕としてみるみる位を上げていった。
 このころになると、父が自分たちに逢いに来ることはほとんどなくなった。体面というより、仕事が多すぎてその暇がなかったのだ。父は律令編纂という大事業にあたっており、他の事にかかずらっている暇はなかった。
そしてその事業が完遂するとさらに位を上げ、また帝に奉った娘が皇子を生んだことで外戚となり、
朝廷内で確固とした地位を確立すると、もはや自分たちのもとを訪れることはなくなった。
ただ、生活が困窮しないようにとの毎月の支援は欠かさず届いていた。
 妹紅はそれを淋しく思っていたが、父がどんどん出世していくことはうれしかった。
そして、自分たちがもう表には出て行けない、ということも理解できる歳になっていた。
 そんな時、あの忌まわしい出来事が起こったのだった。

 風が吹き、頭上のモミジの木がさらさらと紅葉を散らす。
 「ちっ」
 妹紅は首を振った。
 (どうしても嫌なところまで思い出してしまうな)
 あの出来事のあと、父はしばらく宮廷での笑い物となったが、かの蓬莱の薬を拒絶した帝はその父親に似て身体が弱く、
ほどなく病により若くして崩御。その混乱を収められるのは父しかおらず、帝の母が新帝として立ったのち、
右大臣に昇進した。このときの左大臣も、あの女への求婚者の一人だった。
 それからすぐに都が新益京(あらましのみやこ、しんやくのみやこ。藤原京の当時の呼称)から平城京(ならのみやこ)に遷り、
左大臣が旧都の管理者としてとどまったため、帝の側にいる右大臣の父が帝に次ぐ実質的な最高権力者となったのだった。
 (何か、私も先走りすぎたよなあ・・・)
 妹紅はため息をつき、それから小さく笑った。
 (あれくらいのこと、父様には小さな恥でしかなかった。それを大げさにとらえて、あんなことをしでかしてしまうなんて)
 木一本さえ生えていない、荒涼とした不尽の山の頂のことを思い出す。
 (あの兵士には悪いことをした)
 そして小さく頭をかきむしり、髪の毛をさらさらと風に散らす。
 それらはぱっと炎を発し、たちまち燃え尽きた。
 (こんな体になって・・・)
 化物の体になってしまった自分は、とても家へは戻れなかった。
だが、姿をくらましてしまった輝夜たちを必死で追い求め続けるうちに望郷の念をどうしても抑えることができなくなった。
そして大和へ戻ったが、父も母もすでに亡くなっており、異形の姿となった自分をそれとわかる人間もいなかった。
絶望した自分は輝夜を辱めて殺すことに全てを懸けるしかなくなった。
 (空しいことだったけど。でも、あの時はそうするしか生きていく希望がなかった・・・)
 自嘲気味に笑う。
 (でも、その殺し合いの末に今があるんだから、何と言うか・・・)
 今では、派手にスペルカード戦を行っても、憎しみというよりは嬉しさがこみ上げてきてしまう。
お互い、あの時からは相当時代が隔たってしまい、当時を知っているのがお互いしかいない
(輝夜には人間離れしたのが一人くっついているが)からだろうか、奇妙な友情というか連帯感というか、
そんなものが出来てしまっている。向こうはどうかわからないが、
別れるときに時々名残惜しそうな雰囲気を漂わせている時があるので、彼女も同じなのかもしれない。
 「ああ」
 妹紅はそこまで考えると、ふうと一息ついて言った。
 「昔を思い出すのに良いことだけ考えたいが、どうにも悪いことまで思い出してしまう。どうすればいいと思う?」
 「―――そのままで良いと思いますよ」
 さらさらと舞い落ちるモミジの葉が翻り、その中から秋の女神、静葉が現われた。
 「そのままで良いのです」
 「いいのか?」
 妹紅が笑いながら問う。
 「はい」
 静葉は微笑んだ。「良いことも悪いことも、古を偲ぶ大事なよすがです。
良いことだけ取り出して、悪いことを切り捨てようとしても、それはいびつな、偽りの思い出にしかなりません。
そんなことをすれば、きっと良かったことも歪められて別のものになってしまうでしょう。
良いものも悪いものも、全て受け入れて心の中にとどめておくのです。
それでこそ過去が美しいものでありつづけるでしょう。良いことも悪いことも、みな“良い思い出”となるのですよ」
 「そうか」
 妹紅はモミジの枝を見ながら言った。「悪いことも・・・」
 「そうです」
 静葉はうなずく。「何かを愛するということは、その良いところも悪いところも全て受け入れ認めるということです。
悪いところを切り捨てて良いところしか見ないのは、ただのひとりよがりです。
そのような人には、何かを愛することなどできないでしょう」
 そして妹紅のリボンの上に、どこから取り出したのか、深紅のナナカマドの葉を添えた。
 「あなたは昔の思い出をとても大切にしているようです。その枝をとても大切そうに抱いていました」
 「昔、こことよく似た川で、父にモミジの枝を手折ってもらったことがある」
 「そうなのですか。よい父君だったのですね」
 「ああ、よい父様だった」
 「古を愛することができる人は、今を愛することができるでしょう。そしてこれからをも」
 「そうなのかな。こんな気持ちになったのも、つい最近のことだ」 
 妹紅は川の流れに目を落とした。緩やかな渓流を赤や黄の紅葉がなおも流れている。
 「この山の紅葉も、昔からこうだったのか。それとも昔はもっと美しかったのか」 
 と静葉に訊く。実のところ妹紅はそこにいる存在が何者なのか知らなかったが、たぶん「それ」であろうと思っていた。
 「そうだった時もありますし、そうでなかった時もあります。これ以上だった時も数え切れません。
ですから、昔が良かった、ということはありません」
 と静葉は答えた。
 「その時々の気候で葉の色づき方も違いますし、葉の落ちる時期も違います。
神代であっても、たとえば根国の大神が泣き叫ばれた時にはこの山も枯山となってしまいましたし、
人の世であっても、神代でも見られなかったような美しい紅葉が見られた年があります。
その時々の巡り合わせで千万(ちよろず)に姿を変える、だからこそ、この世は素晴らしく、美しいのです。
人も、それと同じですよ」
 「そうか・・・私が見たときの川は、もっと凄かったように思う。川一面が紅に染まって、まるで紅の織物のように流れていた」
 と妹紅。「だから、昔はもっと美しかったのかと訊いたんだ」
 静葉は首を振った。
 「そのような事は、神代からこのかた、この川では起こったことがありません」
 妹紅、
 「それは残念だな・・・」
 静葉はそれを聞いてにっこりと笑った。
 「でも、これから起きないとも限らないのですよ・・・」
 そして、山を振り仰いで両腕を広げた。
 「・・・!」
 妹紅は目を見張った。
 川の色がみるみる変わってゆく。
 上流から流れ下ってくる夥しい量の紅葉が水面を美しい唐紅の布に染め上げていった。
 妹紅の周辺でも、紅葉が今まで以上にはらはらと静かに散ってゆく。
 その光景は幻想的なまでに美しかった。
 「あなたの言うような川は、この天地の間にひとつしか知りません」
 と、静葉は言った。「それには及ばないかもしれませんが、同じ秋の神として張り合ってみました・・・」
 「・・・・・・」
 妹紅は川の流れを呆然と見下ろしていた。
 あの時も、このように川一面が紅葉で彩られていた。そしてその美しさに喜んでいるとき、
父がモミジの枝を手渡してくれたのだった。
 その時、彼女の脳裏に父の顔が閃光のように想起された。
 「あ・・・」
 妹紅は弾かれたように立ち上がり、
 「父様・・・・・・」
 枝を取り落とすと、両手で顔を覆った。
 「古き世の事を再現して古を今に蘇らせ、今を古へと誘う・・・それが“祭り”です」
 静葉は言った。「世は移り変わりますが、変わることのない大切なものもあります。それを忘れないでくださいね」
 「ああ・・・」
 妹紅は小さな声で言った。「忘れないよ」
 「それでは、私はこれで。新嘗祭(にいなめのまつり)に招かれている妹を迎えに行きますので」
 静葉の姿がすうっと消えた。
 妹紅はそのまま顔を覆って立ち尽くしていた。

 紅葉はなおも静かに舞い散り、渓流を彩っていた。
 紅に織られた川面は、千変万化する美しい模様を描きながら流れ続けていた。
 妹紅は日が暮れるまでそこにいたが、やがて辺りが暗くなると、その場を立ち去った。
 次の日、川はそれまでの姿を取り戻していた。
 昨日の話を聞きつけた河童や天狗がどっと紅葉狩りに訪れたが、もはや後の祭りだった。
 彼らは口々に残念がり、山へと帰っていった。

 そして秋は暮れ、季節は冬へと向かっていく。

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