地獄変


 

十.
 
 炎の中へ落下していた魔理沙は、いきなり誰かに抱き止められた。
 その衝撃で眼を覚ました魔理沙は、驚いてきょろきょろする。
 「お、気がついたかい」
 聞き覚えのある声だった。
 見上げると、そこには小野塚小町の顔と、その肩に担がれ気を失っている霖之助の姿が見えた。
 「香霖!」
 魔理沙はほっとして叫んだが、すぐに思い直して、
 「・・・私たちは死んじまったのか」
 と言った。
 小町は笑って、
 「幸運にも、まだだ。いきなり呼び出し食らってねえ」
 「まったくです。こちらは勤務時間中なのですが」
 これも聞き覚えのある声だった。
 首をめぐらすと、そこには楽園の最高裁判長、四季映姫・ヤマザナドゥの姿があった。
 「どうして・・・ここに?」
 魔理沙はちょっと頭が混乱してきた。
 「話はあとです」
 映姫はくるりと振り向き、手にした芴を一振りする。
 すると、見渡す限り荒れ狂っていた大火焔が一瞬にしてすべて消え去った。
 映姫はさらに芴を振った。
 凄まじい光が迸り、地獄の隅々まで照らし出した。そして小さな悲鳴が聞こえ、地上に何かが落下した。
 映姫と小町の二人が地上に降りる。
 その前にはぼろぼろになった牛車があった。そして、そこから女性ではなく一人の小男が這い出してきた。
 「誰だこいつは」
 と、小町に地上へ下ろしてもらった魔理沙が訊く。
 「この絵の画家です」
 映姫が少しく振り向いて言った。「もっとも・・・その魂はすでに地獄にあり、ここにいるのはその妄執にすぎませんが」
 「妄執か」
 「この牛車に入っていたのは彼の実の娘です」
 「なんだって!」
 「彼はこの絵をほとんど完成していましたが、最後に燃える牛車とその炎に巻かれる女、という構図がどうしても描けないことを悩み、依頼人の貴族に、『牛車に火をかけて燃えるところを見たい』と求めました。その貴族はそれを了承するどころか、その中に女も入れて焼いてやろうと約束しました。そして、その貴族は、自邸に仕えていた画家の娘を牛車の中に押し込めて焼いたのです」
 「狂ってるぜ。どうしてそんなこと・・・」
 「その貴族はその娘に懸想してたびたび言い寄っていましたが、
娘はどうしても彼を受け入れませんでした。それで怒りを発し、そのようなことをしたのです。
もちろんその貴族も地獄に落ちましたが」
 「当然だぜ」
 「画家も当然そのようなことは知らされていなかったので、娘の姿を見たときは狂乱して助け出そうとしました。しかし、火が掛けられて牛車が火に包まれると、 その壮絶な情景に心を奪われ、恍惚として娘が焼かれるままじっと眺めていました。そしてこの絵を完成させたのです」
 「どいつもこいつも、まともじゃないな」
 「画家は絵の完成後、首を吊って自殺しました。これは良心の呵責に耐えかねてのことですが、もちろんそれで罪が消えるわけではありません」
 映姫は周囲を見回した。
 「この絵は、完成までの間、彼の絵にかける妄執と娘への良心の呵責と依頼者の貴族への恨みと、それらがないまぜになった激しい想いが込められていました。それゆえ、このような呪われた絵となったのでしょう。当初は描かれていた閻魔王の姿が消えてしまったことで、完全に絵の妖怪となってしまったようですが」
 映姫はそこまで言うと男のほうを向き直り、厳かに言い渡した。

 「あなたの芸術にかける熱意は凄まじかった。
すべてにおいて常軌を逸したあなたを嫌う人も、 その絵には感嘆せざるを得なかった。
あなたの絵は本当に人ならぬ水準に達していた。

しかし、人ならぬ境地へ達する者は、往々にして人であることを捨ててしまうのです。
あなたもそうだった。
あなたは絵にすべてを打ち込み、ほかのことを一切見ようとしなかった。
そして、人が歩むべき道を見失ってしまった。
それゆえ最後には、目の前で娘を焼き殺されるという事態を招いてしまったのです。

そう、あなたは少々視野が狭すぎる―――」

 映姫は男をかっと睨んだ。同時に男の体が炎に包まれ、あっという間に消し炭になる。
 「・・・これで終わりです。あなたたちも元の世界に帰ることができるでしょう」
 映姫は魔理沙のほうを振り向いて一息ついた。
 「あれは別に魂じゃないんだから、わざわざ判決を下さなくても良かったんじゃないか」
 と魔理沙。
 映姫ははっとし、ちょっと口をつぐんで、
 「か、形は大事です!」
 と言った。
 「今は仕事中だから、ついくせが出てしまったんですよねえ」
 まだ失神している霖之助を下ろした小町がにやにやしながら言った。
 映姫は口を尖らせて、
 「小町、帰りますよ!この絵の犠牲になった人々の魂もちゃんと連れて帰るのです」
 「きゃん!はいはいっ、承りました」
 「ああ、ひとつだけ言っておきます」
 映姫は最後に魔理沙のほうを向いて、言った。
 「あの男、つまりこの絵の姿は、決して他人事ではありません。
人の常ならぬ道をゆくあなたも、一歩間違えればこのようになってしまうでしょう。決して忘れてはなりません、人が人であるという、そのことを・・・」
 周囲の風景がゆがんできた。そして魔理沙の意識もぼんやりとしてきて―――


十一.

 「あっ、魔理沙さん、霖之助さん!」
 阿求が喜びの声を上げた。
 「よかった!帰ってきたか!」
 慧音もほっと胸をなで下ろす。
 「まったく、心配かけるんだから」
 霊夢が肩をすくめて言った。
 魔理沙はしばらくの間ぼうっとしていたが、やがてはっと正気に戻り、辺りをきょろきょろと見回して、三人に気づくと、
 「よう」
 と言った。
 「何が、よう、よ」
 霊夢はため息をついた。「人にさんざん迷惑かけといて。
いくら物好きだからって、絵の中に入らないでくれる?」
 「これは香霖のせいだぜ」
 魔理沙は側に霖之助がちゃんといるのにほっとしながら言った。
 「こんな狂った絵を拾ってくるから。私も被害者の一人だ」
 「元気なようだな」
 慧音は笑った。そして霖之助を診て、
 「こちらもただ気を失っているだけのようだ」
 と抱き起こし、活を入れた。
 「!?」
 霖之助は眼を白黒させながら眼を覚ました。
 「ここは!?」
 辺りを見回し、そこが自分の店であり、知った顔に囲まれているのを確認すると、
 「ああ、戻ってこれたんだね」
 と大きく息をつき、魔理沙に向かって、
 「ありがとう魔理沙。助かったよ」
 とお礼を言った。
 魔理沙は照れて、
 「い、いや、まあ、それほどでもないぜ」
 「閻魔様はちゃんと出てきてくれましたか?」
 と阿求が訊いてきた。
 魔理沙は目をぱちくりとさせて、
 「何で知ってるんだ。あと死神もついてきてたぞ」
 「よかった、出てきたのね・・・私たちが呼んだのよ」
 と霊夢。
 「呼んだ?」
 魔理沙ははっとして、「そういや勤務時間中にいきなり呼び出されたとか言ってたな」
 「何の話だい」
 霖之助は首をかしげたが、ふと屏風絵のほうを見やって、
 「あっ!!」
 と大声で叫んだ。「誰がこんなことしたんだい!」
 魔理沙がつられて見ると、その地獄絵図の上に、墨で大きく四季映姫・ヤマザナドゥの姿が描かれていた。
 「私が描きました」
 阿求がにっこりと笑って言った。
 「こちらから絵の中に干渉する手段は『落書き』しかないだろう、って思いまして。どうです、うまく描けてるでしょう」
 「ああ、閻魔様強かったぜ。ちゃんと描けてたおかげかもな」
 と魔理沙。
 「ありがとうございます」
 阿求はうれしそうに手を合わせて言った。
 「あと、ただ描くだけじゃ来ないかもしれないって、
霊夢さんが焔摩天真言をずっと唱えて下さってました」
 「真言なんて畑違いなんだから、面倒なことさせないでよね」
 と霊夢。
 「何だ、えらく手間をかけさせてしまってたんだな。すまない、助かったぜ」
 魔理沙は三人に小さく頭を下げた。
 「ああ・・・」
 その時、霖之助がかすれたような声を上げた。
 一同がぎょっとしてそちらを見ると、
 「何もこんなでかでかと描かなくても・・・稀代の名画が・・・何てことだ・・・」
 霖之助は絵を見上げたままぷるぷると震えながら凍りついていた。
 「この絵のおかげでとんでもない目にあったのに・・・香霖もこの絵の画家と同じく業の深いやつだぜ」
 それを見ながら魔理沙は笑った。一同もそれに続いて笑う。


十二.

 結局その絵は、もう売り物にもならないし縁起でもないものだ、ということで、店の外に引きずり出され、

 「ファイナルマスタースパーク!!」

 あとかたもなく吹っ飛ばされた。
 「一件落着だぜ」
 と魔理沙。
 「今日は店じまいだ。僕はちょっと寝るよ」
 霖之助は半ば放心状態で言った。
 「じっくり心の傷を癒してくれ」
 魔理沙は笑った。「こっちはせいせいしたけどな」
 「今度は極楽浄土の絵でも拾ってくることね、霖之助さん」
 霊夢がくすりと笑って言った。
 霖之助は二人の言葉が聞こえていないのか、何やらぶつぶつと言っている。
 「あっ、そういえば」
 阿求がぽんと手を叩いた。「こちらに用があるのでした」
 しかし霖之助はうつろな目で、
 「また日を改めてくれないか」
 慧音、
 「ちょ、それはいくらなんでも」
 魔理沙、
 「まだこの懐の中には『スターダストレヴァリエ』のカードが残っている。
聞き分けのない大人にはこうしないといけないな」
 香霖堂のほうを向き、スペルカードを掲げた。
 「ま、待ってくれ!」
 霖之助が慌てて止める。「これ以上うちの品を灰にしないでくれ!」
 「それじゃ、もうちょっと営業してくれるな?」
 「・・・わかったよ。こちらへどうぞ」
 霖之助は阿求と慧音を連れて店内へと向かった。
 「閻魔様に何か説教されたの?」
 と、霊夢が魔理沙に訊く。
 魔理沙は肩をすくめて言った。
 「魔法も人ならぬ道だから、一歩間違えればあの絵の画家と同じようになる。
だから常に自分が人であることを忘れるな、ってさ」 
 「ふうん・・・でもあんたはそんなにひねくれてないから、その心配はなさそうね」
 と霊夢。
 「どういう意味だよ。私は単純だってのか?」
 魔理沙は口を尖らせた。
 「ふふっ」
 霊夢は笑って、
 「まあ、万が一そんなことになったら、地獄行きの前に私が解決してあげるけどね」
 「はいはい、お願いします」
 「ところで・・・霖之助さんとの地獄同行はどんな感じだったの?」
 「え?」
 魔理沙はぎくっとした。
 「結構大変だったんでしょう?」 
 「あ、ああ、まあな」
 「どうだったの?」
 「そうだな・・・」
 そのまま喋るにはちょっと気恥ずかしい部分がある。
 ので、魔理沙は適当にカットしたり脚色したりしながら、地獄行の武勇伝を語っていった。

(おわり)

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